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7年前の私が怖れを手放し続けて、気づいたこと。

令和元年台風第19号の影響が、東日本でまだまだ続いていますね。被害にあわれた方々へ心よりお見舞い申し上げます。1日も早い回復を祈っています。


災害に対する精神状態の違い

そんな状況の中で、何人かのお客様から、体調も心も不安定になっている、という声を聞きました。

SNSやインターネットのおびただしい情報の量と、勢いにまかせて字になった不安や不満コメントを見ていると、今回の様な自然に対して以外のものにも、不安な感情が増大しやすいことがあります。

この感じ、何かと似ているなあと考えていたら、2011年の東北地方太平洋沖地震を思いだしました。
あの日はお休みで、普段の休日は朝からスタバで勉強していることが多かったのに、珍しく午後までのんびりしていて、やっとこさ新宿に向かおうと乗った、京王線の下高井戸の駅に着いたところで体験しました。地面はぐにゃんぐにゃんに揺れて、大きな音がして、びっくりした。状況を掴めてきたのは、お家に歩いて帰って、友達とLINEをして、テレビで映像を見てからでした。

東京にも影響があった地震の規模の大きさ、その状況をリピートするメディアやインターネット。東京、というか、当時乗換えに使っていた新宿の重くて暗い何とも異様な空気感に、当時の私は、(一時的に)日常生活が送れなくなるのでは?と思うほどメンタルがったがたに…(笑)!

【当時、心を占めていた感情や思考】
・日常や人の命は儚いんだという切なさ
・自分の命が脅かされるかもしれない怖さ
・心配をしてなくて普通に日常を送っている人への不満
・孤独に対する不安
・人に会うのがとにかく疲れる

あらゆることに対しての不安と、怒りの混ざった不満。あの時と、今と、度合いは違えども、この2つに心が染まっている人も多いと思います。

今、あの頃の自分と今を比較してみたら、圧倒的に今回の不安と不満がない。包み隠さずみても、やはりかなり減っている。

じゃあこの数年で、何が変わったんだろう?と、考えてみたら、地震が起きた年は《自分の内面を癒して、本来の自分に戻ることの大切さ》を学び始めた年でもありました。絶妙なタイミングで出会ったんだな。

そんな、当時から続けていることは、《自分が怖れているものことを、隠さず素直に自分の中に見つけて、癒す》こと。

強い怖れをそもそも持っていると、どんな状況にも、怖さを感じることが出来ます。
私は、人が「大丈夫!」と言ってくれても、わざわざ不安要素を探し出して、何も起きてないのに最悪な未来を想定し、怖れるという、石橋を叩いて、叩いて、叩き壊して、渡れない状況を創るのが得意でした。そして、その思考&行動が正しいことだと正当化してしまうと、“叩いて叩いて壊した経験”は一種の成功体験として記憶に残ってしまうのですが、【怖れ&体験】のセットは、やがて、じわじわと人生を苦しめます。


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本来なら、恋愛や仕事でかかわる新しい人間関係の中で、愛や楽しさやよろこびを感じられる体験の出来る人に対しても、(まだ何も始まっていないにも関わらず)自分を受け入れてもらえなかったら、笑われたらどうしよう、嫌われるのが怖い…という気持ちを、強く感じてしまいます。怖れが強いと、家族や友人、恋愛などの過去の人間関係の間にさえも、後悔や執着で引きずることもあります。

怖れがぴたりと自分とくっついていると、“相手に好かれる自分”を演じ続けなくちゃいけないし、過去のつらい体験を誰かのせいにしたりして、とにかく、幸せからほど遠い場所へ自分を追い込んでいくことが出来ます。

ちなみに、この世界は誰一人として例外なく《内側(心や思考)はそのまま、外側(現実)を創ることが出来る》ので、一瞬一瞬、心がどうあるのかが大切です。

幾つかある選択肢の中で、なかなか1つを選べないと感じるのは、怖れ&経験パターンから、最悪の未来を想定する思考が癖づいているから。それを変えていくには、怖れを無視するのでもなく、力任せにごり押しするのではなくて、癒して、癖をなおすことが必要です。(自分が選んだ未来では、絶対後悔なんかせず、幸せになるんだ。と決めると、そっちへ向かっていく場合も多々あります)

ここ数年を経て色んな経験をして、今感じることは、《怖れは確実に減らしたり無くしたり出来るし、決意したら未来は変えることが出来るものなんだ》という発見というか、確信です。


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そんな私がこの数年の間で行っていたこと

①情報の遮断
②新しい知識を学ぶ
③怖れなどの感情と思い込みを手放す

の3つでした。

①情報の遮断
何度も見聞きするすること(五感を刺激して体験すること)は、感情を増幅させるだけでなく、ばんばん潜在意識という記憶のストック場所に染み込んでいきます。
学び始めの頃は特に、怖れ、悲しみ、切なさ、未来への漠然とした不安などを刺激するものから距離を置く為に、あらゆるニュース、ハッピーエンドではないドラマ、本、映画、歌(歌詞)から離れました。距離を置いて気づいたけれど…、私って、切ない話、報われずに延々と努力する話、サスペンスの話、をものっ凄い見ていたのです…!!

好きというか、それを見たくて、ついつい手に取ってしまう、というレベルだったので、わざわざ自分がそれらの世界を確かなものに(事実だ!と認識)する為に、どんな時も、切なくて悲しくて…という世界に浸りたかったんだなということが、離れることで初めて気づけました。

今、何を選ぶかは、未来に何を創るのかに繋がっています。あの時からも、好みはどんどん変わってきているなと感じます。美しくて素晴らしい作品に触れて、心を躍動させていくと、きっと、また変わっていくんだろうな。


②新しい知識を学ぶ
情報を選ぶ中で、自分が切なくて悲しい…いわゆる、最初から最後までハッピー!じゃないものに浸りまくっていたことに気づくと、《そもそも、なぜ私はそんな世界を好んでいるのか?》という疑問が浮かんでいきました。

でも、まずとりあえずは全てを脇に置いて、自分に入ってきたし取り入れようとした知識がいくつかあります。

・人生は100%自分が創っている
→自分の人生にあります。現れるものは自分が望んだこと。
・この世界には被害者も加害者もいない
・好き嫌いの好みは変えられる
・自分の鏡である人は変えられないけど、
 自分が変わることで人が変わる
・自分たちは魂の存在であること(肉体はお家という表現もあります)、など

ここから、新しい知識を真実として変えていくことになるのですが。
古いものから新しいものへのシフトは、喜怒哀楽と、それ以外の色んな感情と向き合うことになるし、信じることと疑うことを行ったり来たり繰り返すことも多々ありました。疑いたくなる気持ちを辞めて、人を信じて、癒され支えられながら、強く何度も変えたいと願って、少しずつ、変化が起きていきます。


③意識の手放しや断捨離の方法
じゃあ、感情とか思考を、どうやって手放すんだろう?ということに関してです。


この世界には、意識を癒す方法は沢山あります。今、私は意識を統合することをイメージワークで行っていますが、レイキヒーリングやホ・オポノポノ、セドナメソッドなどの本も読んで実践したことがあります(気になるものは、調べてみてください)。

イメージや瞑想で手放す方法は、調べたら沢山あるけれど、自分が癒されて変わったか?は、現実でどんな動きがあったかのかを基準にしてみます。

もし、癒したぞー!と思っても、現実で同じ感情反応や言動をしたら(例えば、同じ発言をされると傷つくとか、苦手な人を変わらずに避け続けてる、とか)、また癒します。

もし、癒すイメージワークや瞑想をしても、全く変わらないな…と感じるなら、その方法が違っているのではなくて、怖れや怒りや悲しみといった感情や、《現実は自分の内側が創っている》という基本の部分が抜け落ちて、誰かのせいにしたい!という思いなどを、自分でも気がついていないレベルで隠し持っていることが、変わらない原因かも。

丁寧に、(深刻じゃなくて)真剣に癒すことに向き合うと、ものすごく短期間でどんどん癒しは進んで行きます。

感情や思考は形ではなく目に見えないものなので、イメージの中で変えていく作業になりますが、継続して続けていくと、必ず心に軽やかさ、自由度が広がっていったり、関わる人の現実も変化が起きていきます。


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多くの人が心揺さぶられる出来事が起きている時は、みんなが「大きく変化する環境」の中にいる状態とも言われています。

溢れるばかりの物質的豊かさを受け取っている現代だからこそ、次の時代は、一人一人が自分の心や内面を見つめ直して、豊かに愛溢れさせる時代に進んでいるような感じもします。だから、隠してるものが出やすいのかも(テレビのニュースでも、発覚する内容のものが増えていますよね)。

人って、一人だとちっぽけで非力に感じるけれど、誰かの悲しみを自分の一部だと受け止めて、自分と世界を癒すことが出来る、物凄い存在です。

今回、ふとしたきっかけから色々振り返って、知識を現実に活かして、様々な体験ができたことに、まだまだ私の中に怖れって沢山あるんだなと認識したり、喜びや感謝を感じたり、自分を癒すことを大切にしようと改めて思いました。

そして、沢山の人の日常に、人生に、癒しがもっと浸透して、今の辛い環境にいる人が救われたり、今以上に跳びぬけて幸せになる人が沢山増えていくといいなと思ったのでした。






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