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2年間、同じ祈りを毎日積み重ねて感じたこと。

2020年の春。コロナで世界の動きがストップした時、 日本でも緊急事態宣言が出て、サロンも2ヶ月間休業をすることになりました。仕事を始めてから、こんなに長期的に休むことは初めての体験でした。しかも、東京で、ひとりっきりで。

街も静まり返って、お店には商品の数が一時的に少なくなり、ウイルスに関しての情報も少なくて、不安を感じる日々だったなあ。ちなみに、その時に感じていた不安を癒して過ごしていたのはこちらに記録していました。

そんな休業期間でしたが、あらゆるものの断捨離や大掃除、心身のデトックス、オンラインでのセミナーに参加をしたり、観たかった映画を観たり漫画を読んだりして(この時にはじめて鬼滅の刃を知り、その後どっぷり浸かることに…!)、意外と充実した時間を過ごすことが出来ました。

今思うと、「不安を感じないように」何かをするのではなく、心身のデトックスを行って免疫力をつけたり、意識やスピリチュアルのセミナーを受けて、自分のメンタルを穏やかな状態にした上で、時間が出来たらしたかったとをして過ごせたことはその後にも影響を大きく与えてくれたので、とても有り難かったなあと思います。

そんな、休業期間からコロナが落ち着いてくる頃まで、祈っていたことがあります。

それは、

今日、誰かの素晴らしい祈りが簡単にあっけなく叶います様に。今までどんなに頑張っても叶わなくて、もう諦めようとしていた願いも、今この瞬間にふと願ったことも全部、無条件で沢山のミラクルが起きて、この世界に幸せが溢れますように。

全ての医療従事者の方に感謝いたします。
彼らの人生が今後ずっと豊かで幸せでありますように。コロナが1日も早く収束していきますように。

と、いった内容でした。

この祈りは、時間も回数も場所も関係なく「1日1回以上」。

それまでにも時々、世界を思って祈ることもあったけど、ざっくりとした抽象的な言葉を並べた内容だったので、心がこもっていたか?と考えると、少し、ずれている感じがして、違っていたんだなあと思います。


さて、コロナをきっかけに大きな祈りを続けた訳ですが、それまでの自分の、特に物質的なことに対しての祈り(例えば、売上がこうなりたい、ハワイに行きたいなど)との心の在り方の違いをはっきりと感じたり、今までに学んだ知識が、改めて深く自分に浸透していく体験をすることが出来ました。


①沢山の人の幸せを祈るという行為は、普段の思考や感情から離れて、心に安寧の時間を持つことが出来る

祈る回数(時間)が増えていくと、祈っている時の自分の心の中が、個人的なことを祈る時よりも、「本当にそうなってほしいな」と温かく穏やかに、世界に広がっていく様な感覚に変化していきました。その心の在り方は、「叶えるために試練が来るのかな」とか「今までだらだらしてたから、神様が叶えてくれないかも」とか考えることもなく、ただ素直に純粋に、無条件に祈る、という感じです。

そんな風に世界を祈る時の気持ちで、今度は個人的な祈りをしてみると、ふと新しいことが気になったり、パッと見た情報で八方塞がり状態に思わぬ抜け道を発見したり、今まで中途半端にしてきたことが気になったりします。それは、人間関係の中で何となく頭に浮かぶ人に、自分から連絡を取ったり、お礼を伝えたり、過去の出来事に対して謝ったり、中途半端になっていた仕事や趣味などを最後までやりったり、再チャレンジしてみたり、「何となく、これをした方が(または、やめた方が)よさそうかも」という感覚をキャッチしやすくなっていきました。

その感覚が甦ってくると、祈る時以外の時間も温かく穏やかで心身を健やでいたいなという気持ちも生まれ、やがて日常に「新しい気づき」と「行動の変化」が繰り返されていく流れが出来てきて、自分の願いが今までよりスムーズに叶っていきました。

祈りの言葉にくっ付ける「自分の心の在り方」によって、一見祈りと繋がっていないようなことでも、ここで行動を起こした方がいいなという直感が冴えて、叶っていく道のりのスムーズさが違うことの理解が出来ました。


②自分から発する祈り(行動)には、思いが乗る

①でもちらりと書きましたが、個人的な祈りほど無意識に期待が大きくなってしまっていることがあって、穏やかに祈れる時もあれば、「絶対、絶対叶ってほしい~!」と変な熱がこもりすぎていたり、私の願いはどうせ叶わない…と何故か最初から落ち込む時など、祈るテーマによって心の在り方の違いも分かるようになっていきました。

自分から発する祈り(行動)には、思いが乗っています。話す、買う、書く、着る、歩く…など1日の行動だけでも数えきれないほどあり、その行動1つ1つとに一緒に必ず思いもくっついているのかと思うと果てしない…!と思いますが、自分のことを観察していると、行動と思いはセットになっているなと思います。

思いの中には「こうなったら不安だからこうしよう」「前と同じ結果になって傷つくかもしれない」といったものから、「忙しいから、つい無意識で」「習慣であんまり考えてなかった」というものまでありますが、時間のあった休業中は、「自分が気持ちよく過ごせるために、こうしよう」「免疫力を上げるために、試してみよう」と、自分の快適さや幸福感を意識して、「思い」を決めてから行動することも大切にしていました。

行動と心を観察して変えることの中には、短期間ですぐに出来ることもあるし、おや…?なんかこの癖はすぐ元に戻ってない…?と思うことも多いです。人間の行動の習慣なんて星の数ほどあるので、もちろん今でも観察して、時に悪戦苦闘しています。


③祈ることで出てくる心の声や感情を幻聴だと思わず、だめだと否定せず、まず受け入れる

どうせ叶わないだろうな、私は乗り気じゃないけどAさんからすすめられたから祈ってみよう、祈っていたらやる気が無くなってきた等、祈ると聞こえてくる真逆の心の声が聴こえることってありませんか?私は、あります。

「この声は、気のせいだ」「まだこんなこと思ってる自分はだめだ」と、自分をごまかしたり責めたりすると、不思議とその声が大きくなっていって、何をしても微動だにしない岩や、飛び越えられない壁のようにズドーンと存在するので、心だけでなく体まで重く感じるようになってしまいます。

責めちゃだめと責めるループに入ると、抜け出せなくなっていた私ですが、集中的に心身のデトックスや癒しを行ったり祈ることで、自分に対して内側に向かっていた意識が、世界という外側に向かうように変わっていきました。

祈ることで心の在り方が変わって、その状態で自分の色んな声を聞いてみると、全部まとめて自分なんだなーと、素直に受け入れることが出来るようになりました。それまで岩や壁のような、ものすごい影響力がある存在だったものが、手のひらに乗る石ころのような存在に感じられるようになると、問題と思っていたことにも解決策を見つけられるようになっていきました。


④大きな祈りは、「じゃあ、あの祈りを叶えるために今自分に出来ることは何だろう?」と考え行動するきっかけを与えてくれる

営業再開後しばらくして、ふと、「今、自分に出来ることはなんだろう?」と、出来ることを具体的に考えるようになりました。

当時の私は、サロンに足を運んでいただいたお客様の心身を癒して健やかな日々を過ごしていただくことが、医療の現場がひっ迫することの回避になるのではないだろうか。そんな風に巡り巡って社会全体のよき流れに繋がることを目指そうと決めて、そこからはその思いに向けて仕事を行っていきました。

ありがたいことに沢山のお客様に足を運んでいただき、とても忙しく充実した日々は、次の新しい学びに繋がっていました。

ちなみに、祈り行動をし続けた結果、その後さらなる自分の心の中にある葛藤と向き合った時期もやって来ました。今となっては必要な通過点で、もはや笑い話なのですが、おいおい、私の人生は何歳になっても泣いたり笑ったりの学びがあるな…というか、結局そういう人生が好きなんだな…と今ではそう思っています。

さて、コロナをきっかけに年単位で続けた今回の私の体験は、自分のことや大切な人の幸せにを祈る感覚とはまた少し違っていて、地球という美しい星で、今この瞬間にも何かを思ったり願ったりしながら沢山の人たちが存在しているんだなと感じるきっかけを与えてくれ、同時に、自分自身をより深く知ったり新しい可能性を広げていくきっかけを与えてくれることに気づかせてくれ、外側の世界の幸せを願うことは、自分を幸せにしてあげることに繋がっていることが、この数年を通して学ぶことが出来ました。

そして今。2023年の長期的な祈りは、少し違うことを祈っています。

祈ったことに対しての回答やヒントは、やっぱり、人やネットや本などありとあらゆるものを使って、私に変わるべきこと、行動するためのヒントなどを教えてくれています。

1年間の祈りが、自分をどう導いてくれ、自分はどう行動したのか、また来年に書けたらいいな。

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