見出し画像

スピリチュアルのテーマのひとつ、豊かさについての私のはなし②

前回↓の続きです。


10代からの不調を改善をしたくて出会ったアロマテラピーの世界でセラピストになるため、本格的に癒しの世界に足を踏み入れたのが20代後半。その時に「色々な経験を積んで、37歳くらいでサロンを持てたらいいな」と思っていた私が、サロンをはじめたのは30歳でした。

準備不足と言えば、そうだったかもしれませんが、とんとん拍子でチャンスやご縁が重なって、運良くサロンをオープンすることが出来ました。

そこから、少し経った頃のこと。前回にも書きましたが、うまくいかない方向ばかりを選び続けて負のループにはまってしまい、サロンが浮き沈みを続け、そこからなかなか抜け出すことが出来ない日々が続いていました。

迷子の私

そんなある日、瞑想をしていた時のこと。
イメージの中で、真夜中の海を小さなボートで漂いながら、星を見ていました(当時よくしていた現実化を早める瞑想のほんの一部です)。私の意識の中でイメージしているのに、星が全く見えない。その暗さに「私の人生この先も真っ暗なのか…?」とネガティブ思考が発動していたのですが、その日は、星が光ったのです。

ひときわ明るく輝く星を意図的にイメージすることはありますが、自分からじゃなくて、“星が光った”というイメージが、あっちからやって来たような感じで。

ぴかっ

その光景を見た時になぜか、「よしっ、一生懸命頑張ってだめなら、一度サロンは手放そう!」と、未来が全然見えないのに、はっきりと決めていました。それまでは、サロンを続けるためにも責任を持とう持たなくちゃと、祈るように自分に言い聞かせてきたけど、この日の決断は、バシィッと決めた、と言う感じで。

心が本当に決まると、それまでのもやもや…サロンがうまくいかなかったんだと噂話をされて恥をかくかもしれない、応援してくれた家族を失望させるかもしれないといった恐怖が、川の流れをせき止めるほどの巨大な岩みたいに感じていたのに、投げ飛ばすまではいかなくても、両手で抱えて動かせる石くらいの大きさに変わっていて、つくづく、恐怖は自分でつくって、自分を不自由にするものなんだなと思いました。

殺風景だった心が、いよいよ変わりはじめるよ

まだ起きてもいないことを想像することで、恐れを必要以上に大きくするのをやめて、あるのに「全く無い」と嘘をつかず、ちゃんと受けとめて向き合い続けながら、地道に丁寧に統合も続けていきました。

恐怖に支配されるのではなく、コントロールが出来るように意識をシフトさせながら、私はサロンを立て直すために、サロンの仕事が入っていない時間に副業を始めます。某化粧品ブランドのテレオペ、深夜の出張マッサージ、短期のアルバイト、睡眠時間は3~4時間くらいの日々の中、スピリチュアルに関しての勉強してきたノートも読み返して、日々に活かしていきました。

本当に、あの3カ月は、今思い出しても濃密な時間だったな。副業を通じてしか絶対に出会わない人や場所との出会いの中で、気持ちを腐らせず、自分と人に誠実な行動をして、何事にも感謝をしながら、最終結果にこだわらずに楽しんで過ごしていました。

学んできた知識をそっくりそのまんま実践してみると、3ヶ月前後で確実に結果が出ると言うことに確信も持てました。

わんわん!無我夢中で駆け抜けた3ヶ月

内側も外側もどんどん変化しているなか、「もっと早く気づいて変えれば、よかったな」と感じた2つの出来事があります。

ひとつは、サロン独立の時に、これからはフリーランスという生き方をしていきたいという思いから「今後、履歴書を書かない生き方をしよう」と決めたこと。
サロンを続けていくための決意の表れだったけど、途中から恐れや変なプライドと絡まってしまい、「副業をしたら、サロンの仕事を全力で出来なくなるかもしれない」という思い込みが生まれて、方向転換をする決断がなかなか出来ずにいました。

自分との約束は何のためだったんだろう?改めて考えた時に、「沢山の人たちの心と体が癒されて、元気になるための、心地よい場所をつくる」という、当初の目標を再確認しました。
決めたことを貫くという思いを拗らせていた私は、目標のためなら、途中経過はどんどん変えてもいいや。苦手なことや興味がなかったことにも取り組んでいこう!と新たに決め直すことができ、さらに身軽に行動が出来るようになっていきました。


そして、もうひとつは「弱音をはかない」と決めたこと。これは、私の理想とするセラピスト像が、自分でもまあまあ高くないですか…?と思うイメージを描いていることと、妙なところで完璧主義という性格が仇になっていたこともあり、どんな時でも笑顔で頑張ることにこだわりすぎていました。

そんなことしてたから真っ白に燃え尽きたわ

たしか、暗闇の中に星を見つけた瞑想をした前後だったと思います。電話で話していたお母さんに、サロンがうまくいってないことを「自分が、不甲斐ない」と絞り出すように泣いたことかあります。仕事についてあんな話をしたのは、あの時が最初で最後(現時点では)。きっと思うことは沢山あったと思うけど、うん、うんと聞いてくれたのを覚えています。

「出来るだけ頑張ってみて、だめなら辞めようと思う」と思いを伝えて電話を切ったあと、私はずっと長い間、心配をかけたくない、悲しませたくない、傷つけたくないという不安に押し潰されそうな感じがしていたけど、その不安で、人に対して壁をつくってしまっていたことに気がつきます。

同時に、どんなことが起きて時も、悩んで迷って、失敗したらやり直して、明るく楽しく、ありのままに生きていればいいのかも。だって、私が大切だなと思う人たちや家族には、そのまま同じことを願っているもんなあ。人の思いを、勝手にあれやこれやと妄想したり、自分の理想像に囚われすぎて疲れ果てていた自分を、ふふっと笑って許せました。

そう言えば、20代後半にPMSの症状がピークを迎え無期限の休職をすることになって、ぼろっぼろの状態で実家に帰った時も、何も言わずにただ一緒に生活をしてくれていました。どちらも深くは考えていなかったかもしれませんが…(笑)、幾つになってもハプニングが起きたり、突拍子もないことをしがちな子供たちを受けとめてくれる親を、私は尊敬しています。

そして、もう一人、心の内を話したひとがいます。普段は、お箸が転ぼうが転ばなかろうが、きゃあきゃあ笑ってばかりなのに、その時は「ずっと、頑張ってるなって知ってたよ。言わなかったけど気づいてたよ」とだけ、言ってくれました。

会話は救い

あの時の二人との会話は静かで短いものだったけど、見たくないこと、隠しておきたかったこと、忘れてしまっていたこと、色んな自分が存在していることを認識したり自分との対話もすることができて、深い癒しの体験、救いとなりました。あの時にしてもらったことを、今度は私が誰かに日常の中で、どんな形でも出来るようになりたいなと、今、思っています。

もし、ある状況にはまって抜け出せなくなったら、家族でも、友達でも、恋人でも、専門家の方でも、一生でその時しか会わない人でも誰でもいいから、なるべく早い段階で、「今、めっちゃつらい」「助けてほしい」と言えることが、意外な解決の糸口となって、人生の流れを大きく変えていくきっかけとなります。
ひとりで迷い悩んで成長したり学ぶことも多いけど、人や自然をはじめとする、「あらゆる存在との繋がり」の中でしか得られない、癒しや学びがあります。

自分が、仕事や子育てや趣味など、何かを通じて成長すると決めていると、「自分に繋がって掘り下げていく時間」と「他者と繋がって育んでいく時間」は、交互にバランスよくやって来るんじゃないかな。
次の流れが来ているのに、立ち止まろうとするとリズムが崩れていく。流れに気づいて新しい波に乗ることが、人生でどんなことが起きても「大丈夫」に変えていけるんだと思います。

世界は美しくて優しい

なんか…

やや重い感じになってしまいましたが!

次回がたぶん、最後になります。
金運をつけるために不眠不休で副業に楽しんで全力を出したら、連動して本業が動きはじめたお話を、書きたいなと思います。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?