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なぜ弱者男性が「ネトウヨ化」するのか

そもそも、弱者男性とはなにか。
ウィキペディアにはこう書いてある。
「弱者男性(じゃくしゃだんせい)とは、独身・貧困・障害など弱者になる要素を備えた男性のことである。」
一見すると、弱者男性と右翼思想の親和性は低いと思われる。
左翼思想は平等を目指し、弱者を保護する思想である一方、右翼思想は格差を是認し、弱者を切り捨てる思想であるからだ。
しかし、実際には、ネトウヨはいわゆる弱者男性が多いのである。
なぜ弱者男性がネトウヨになってしまうのだろうか。

昨今のリベラル、とくにフェミニストを見ていると、どうもリベラルの“規定”する弱者は、「女性」「性的少数者」「障碍者」「外国人」などであり、社会的男性性を有している時点で男性は強者扱いである。
リベラルは弱者男性を「優位性を有する強者」であると規定し、社会的弱者の枠から「男性」を外しているのである。

しかし、実際には弱者男性は「社会的男性性」という特権こそ有するものの、その一方で先に挙げたように低学歴や貧困などで社会的弱者となっている男性も大勢いるのが実情である。
「男性が強者で、女性が弱者なのだから、女性の権利を」という昨今のフェミニズムの風潮はあまりに短絡的である。
多様性を尊重するはずのリベラルが、気づかぬうちに弱者男性を社会から排除し、差別しているのだ。

男尊女卑から男女平等へ、社会が移り変わる中で、弱者男性は自らの地位を失いかけている。
一昔前までは「男性である」というだけで“偉かった”のに、いまでは「男性である」というだけでは威張れない。
そうして、女性の地位が向上するにつれて、社会的弱者はより弱い立場へと差別意識を向けることになったのである。

弱者が弱者を叩くという構図は、アメリカにおいてもみられる。
移民大国であるアメリカでは、人種間の格差が深刻であったが、公民権運動に代表されるさまざまな抗議運動を経て、白人とアフリカ系やヒスパニック、アジア系といったマイノリティとの格差は縮まりつつある。
その一方で、もともと「白人」という特権を有していた低学歴、低所得の白人労働者階級のなかでは、社会的地位を失いかねないという危機感が広まった。
ここから右派ポピュリズムの風が吹き荒れ、白人労働者階級のトランプへの熱狂的支持が生まれたのである。
社会的弱者は、自らの持つ数少ない社会的優位性にすがることでしか、自らのプライドを維持することができなかった。それが、その社会的優位性さえ奪われようとしているのだ。

低学歴の属性を持つ「弱者男性」が左翼思想を理解することが難しいというのもあるだろう。
左翼思想は理論のうえに成り立つ一方で、右翼思想が重視するのは「尊皇」や「愛国」といった感情である。
そのため、左翼思想を理解するためには、高校レベルの世界史の知識を身に着けたうえで、マルクスやレーニンといった理論家の難解な著作を読み解かねばならない。
しかし、右翼思想であれば、「大日本帝国と天皇への畏敬の念」と「中国・韓国に対する差別感情」さえあれば、低学歴でも容易く理解できるであろう。

リベラルは弱者男性のネトウヨ的傾向を反知性主義だと批判するが、ネトウヨも弱者であることは言うまでもない。
そもそも、今のリベラルはエコロジーやジェンダー平等に傾きすぎている。
本来、リベラルとは労働者に支持されるものであった。
それが時代が進むにつれ、リベラルが労働運動からエコロジーやジェンダー平等に軸足を移し、本来の支持基盤である労働者層が離れてしまった。
実際に、ネトウヨは右派労働者層であろう。
リベラルはネトウヨを批判するのではなく、ネトウヨが真の弱者であることを認め、そのうえでネトウヨに寄り添うべきではないだろうか。

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