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細かいミスが多い人

 「なんでそんなことになるの」とよく言われる。良い言い換えをしてくれる人には、「あなたといると、普段自分には絶対に起こらないようなことが起こって楽しい」と言われる。悪く言えば、「不注意極まりなくてボケーっとしてるし奇跡みたいなバカだし…………いい加減にしろ!!!」である。時に「天然」なんて可愛らしい肩書きをくれる人もいるが、そうではない。圧倒的不注意と圧倒的あわてんぼう(○○ぼうという表現は、バカみたいだから嫌いなのだが、ここはそうとしか形容できなかった)なのだ。「なんでそんなことになるの」と言われても、不注意やあわてんぼうになる術は誰にも教えられていないから、なんでと言われてもわからない。

 大人になったら治ると思っていた。しかし世の中そう上手くいかない。社会人になってからも、よそ見をしてイオンの柱にぶつかったり、プリンの素を22箱買ってしまったり、駐車券を取ろうと手を伸ばしたが窓を開けていなくて突き指したりしている。交通系ICカードなんて、気づいたら5枚も家にある。ケーズデンキのカードも3枚ある。「私なんてもっとひどいよ。こんなことあったよ。」とか言わないでもらいたい。こっちはこっちなりに困り感を抱えているので。

 昨年、MacBookを購入した。社会人2年目。さらに教員採用試験にも落ちて時間講師の話しかいただけなかった私にとって、一世一代の買い物だ。購入してひと月程経ったある日、あることに気がついた。「ここ3日くらい、MacBookを見ていないぞ…。」もう焦りに焦った私は、最後にMacBookを使用した場所を思い浮かべた。「もう昨日だか3日前だか先週だか覚えていないが、とりあえず最近、マクドナルドで使ったぞ…」と思った私は、もう、マクドナルドに問い合わせることしか考えられない。そしてこの後の展開、もう予測できる人もいるだろうが、お付き合い願いたい。とりあえずマクドナルドに電話した私は、店員さんが電話に出るや否や、「すみません!!マックありますか!」と問う。店員さんの答えは、「はい?」である。


私「すみません!マックありますか!」
店「はい?」
私「だからあの、マック!マックありますか!」
店「…マック…ですか…?」


ここで、私はとてつもないことに気が付く。「自分が電話をしている場所。マック(マクドナルド)だ…。」

 その後は、その店にMacBookは無く、店員さんに電話越しに軽く笑われ、結果的に職員室の机の中から出てきたのだが、特にオチもないので割愛する。

 こんな具合で毎日過ごしているが、奇跡的に死んではいない。いつかうっかりが原因で死ぬんだろうなーと思っているが、今のところ無事である(無事かどうかも怪しいものだが)。周りがうまーーーいこと支えてくれるからであろう。「もう、まったく…」なんて言いながら支えてくれる人が不思議とずっといた。ありがたい話である。周りよ、ありがとう。友達は少ないが、数少ない友達に愛される努力・大切にする努力はしているつもりである。そうでないといざという時死んじゃうから。細かいミスが多くたって、笑ってくれる友達・助けてくれる友達がいれば人生なんとかなるものである。だから、全友達に見放された時が、つまり死を意味するのだろう。そうならないように愛される努力は惜しまない。愛される努力というが、基本的にニコニコヘラヘラしているだけなのだが。 
 世の中には、愛されるバカと愛されないバカがいる。私は愛されるバカになりたい。バカなのになぜか愛される力を「バカ力(ばかりょく)」と呼ぶこととするが、バカ力溢れる人間になることが目標である。
 それから、私はバカのベクトルは恵まれていると感じている。話の文脈は読み取れるし、比較的人の気持ちもわかるし、困っている人の困っているオーラに気づけるのだ。それ(特に話の文脈を読み取る)ができない人は愛されない。でも、それができるから助けてくれる人がいるんだろうなーと。

 度々性悪を自称する人がいる。「毒舌なんだよねー。」と言ってみたり、Xのプロフィールにわざわざ書いてみたり。ちょっと(というかかなり)格好悪いと思う。何より嘘っぽい。不必要に悪ぶる必要などないし、尖る必要もないのだ。ニコニコして、助けてもらったら「ありがとう!」って言って、後からその人がいないところで他者に「○○さんがこんなことしてくれてさー!!」って言えばいいのである。わざわざ牽制をする必要もないし、寛大に生きたいものである。そうしたら「バカ友」が寄ってきて楽しいよ。賢い人もなぜかバカな自分を見捨てずにいれくれるしね。生徒も、「先生はおっちょこちょいだから…」と言いながら自立してくれる。ありがたい。


 さぁ、みんなも、レッツニコニコ!レッツヘラヘラ!


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