言葉にしてはいけないこと
人間って素晴らしい存在だと思うけど、でも逆にどうしようもない部分を持ってるよな。
それは悪人だけに当てはまることじゃなくて、どんな善人であっても、どうしようもない部分をいくつも持っていると思う。
これはたとえ話で、
おれはそんなことしたことないんだけど、
子供のころ、アリを1匹1匹つぶして殺して遊んでいた、とか。
人ってやさしいだけじゃなくて残酷な部分も持っているから、
子供のとき、あるいは大人になっても、そういう酷いことを無意識に、あるいはわかっててやっていると思うんだよ。
たとえば、おれは元家族のことを、家から追い出した。
本当にひどいことをしたと思う。
おれはまだ、心のどこかで、いや、心の浅い部分でも、
自分のことを責めている。
「おれはなんてひどいことをしてしまったのか」と。
でも同時に、こうも思っている。
「おまえは自分を守っただけだ」
「今までおまえは自分を殺してきた」
「今回は自分を殺さなかった」
「今回は自分を大事にできた」
「今回はちゃんと自分を助けられた」
「今までずっと見殺しにしてきた自分を助けられた」
「だからおまえはすごくえらかった!!」
おれがこんなふうに思えるのは、
おれがずっとずっと自分のことを見てきたから。
自分の気持ちや過去を、全部知っているから。
しかしなにも知らない人の目には、おれの姿は、
元家族を放り出した酷いDV男
みたいに映るかもしれない。
きっとそうだろう。
だから、こういうことは、本当は言わないほうがいい。
言葉にしないほうがいい。黙っときゃいい。言う必要ない。
わざわざ嫌われるようなことを、
わざわざ誤解されるようなことを、
こんなふうに書かないほうがいい。
みんなそうしてる。
誰だって心のどこかには、救いようのない闇のようなものを抱えていて、
どろどろした、残酷な、どうしようもない感情や思い、過去、事実を持っていて、でもそんなことを言っていてもしょうがないから、言わない。言葉にしない。
それはいいことだと思う。
いちいち掘り返して、自分を落ち込ませない。
人を不快な気分にさせない。
それはいいこと。
それはやさしさ。
言葉にしないほうがいいことなんて、本当にたくさんある。
それでもおれがこうして、
どうしようもない気持ちを書いてしまうのは、
救いようのないことを言葉にしてしまうのは、
それでも、
この広い世界のどこかにいる誰かが、
すべてを救ってしまう
それを信じているから。
そして、こんなどうしようもない、
おれの救いようのない告白が、言葉が、文章が、
誰かのことを救うかもしれない
そんなふうに思うから。
何千人、何万人、何億人、
そんな多くの人を救う人のことを、
この世界では「救世主」と呼ぶのかもしれない。
でもおれは、たった1人でいいと思う。
たくさんの人のことを救えなくても、
たった1人の誰かの心を救えたら。
その人はおれにとって紛れもない救世主だし、神様だ。
そしておれがもしも、たった1人の誰かの心をあったかくできたのなら。
おれだって救世主になれるし、神さまになれる。
きっとおれはそんなことがしたくて、
こうやって文章を書き続けているんだ。
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