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【親の金でハワイに行く②】ハワイに行っても変わらないもの

二日目。
僕は親父と2人隣り合って、バスに乗っていた。
親父と隣り合って乗り物に乗ったのなんて、いつぶりだろうか…。

覚えているのは初めて親父と2人でジェットコースターに乗った時。まだ6歳くらいだったはずだ。安全バーが自分の太ももまで下がらず、僕は振り落とされるのではないかと不安だった。だけど親父がジェットコースターの走行中も僕のことをずっと手で支えてくれたおかげで、僕は無邪気に楽しむことができた。親父の大きくて温かい手が、ずっと自分を守ってくれていた。

親父はあの時から今まで何十年も変わらず、頼り甲斐があって、優しかった。変わってしまったのは僕の方だ。愛嬌と可能性に満ちた幼い僕はいなくなり、不安と焦燥感だけが残る二浪二留哲学科中退という化け物へと変貌した。バスに流れる英語のアナウンスを事細かに母さんと妹に通訳しながら教えている親父の声を聞きながら、そんなことを考えていた。

クワロア・ランチ


「絶景だ…」というセリフを、人生で初めて言いました。いつ、どこに目を向けても、マジで、絶景。
クワロア・ランチは、東京ドーム400個分の広大な面積を誇るオアフ島北部の土地で、ジュラシックパークやキングコングなどの様々な映画のロケ地にもなっていて、乗馬、バギー、ジップラインなどのアクティビティを楽しむことができる。
僕たち家族が申し込んだのは、「映画ロケ地ツアー」というもの。バスに乗ってこの広大な土地で映画のロケ地を回っていく。

これに乗っていく
外を見る僕

バスに乗っていると、第二次世界大戦中に実際に基地として使われていた場所がそのまま残っていたり、今までに撮影された映画の資料館のようなものがあってそれらを見て回ることができる。
そして、そのまま進んでいくと…。

ジュラシックパークだかキングコングだかのセット


点在する骨たち。写真では伝わらないが、かなり広くに散らばっている
これはもうキングコングなはず

途中色々と出てきすぎて忘れてしまったのだが、多分これはキングコングのセット。親父が通訳して教えてくれたことによれば、実際に使われたものをそのまま残しているらしい(違ったらすみません)。いくつかのものはこうしてセットがそのまま残されており、見ることができる。

セットが無いものもあるが、ロケで使われた映画の看板が等間隔に並んでいて、そこを走りながらバスガイドさんが解説してくれる。

何かの映画の看板。これをもとに解説するバスガイド。
また出てくる映画の看板。説明するバスガイドさん。
日本ではあまり見ないシステム。看板毎説明。

ただこれ、当然だがずっと英語である。僕たちは親父がずっと通訳をしてくれていたので楽しめたが、わからないと少し退屈かもしれない。
実は僕は、幼いころにロンドンで4年間暮らしたバリバリの帰国子女であり、親父も英語はぺらぺらである。実家にいると、よく書斎から英語でリモート会議をする声が聞こえてきた。当時フリーターだった僕は昼過ぎに起きてその声を聴くのが居たたまれなさ過ぎて、27の時に家を出た(遅い)。

自分も英語ができる大人になるのだと当然のように思っていた。だがどうしてか現実は、英語どころか日本語でさえも危うい。自分の声が低すぎて、友達に話しかけると「携帯のバイブが鳴ってるのかと思った…」と言われる始末だ。

バスガイドが話している途中で、急に後ろから大声をあげて質問をする観光客がいる。ガイドは「良い質問だね~!」と言いながら何かを答えている。少しだけ引いてしまう僕とは対照的に、その日本とは違いすぎる空気感を乗りこなしている様子の親父を横にしながら、バスは出発した場所へと戻っていく。僕も程度はこんな空気感で育ったはずなのに、今やホームビデオに映る幼い自分が英語でしゃべっていると、何を言っているのか聞き取れない。どうしてこうなってしまったのか…。

いや…切り替えよう。ハワイに来てまで、英語ができるようにならなかった自分を悔やむ必要はない。

なぜならこの後、僕たちは船に乗って沖合に出て海に行く予定なのだ…!
2日目にしてようやく海に入れる…!!海水浴なんてここ数年やっていない。今日までずっと見てきたハワイの青い海に、やっと飛び込むことができる…!!

ハゲ


わかはげ

切り替えようと思い海に入ったら、ハゲていた。
いや、もちろんわかっていたことだ。僕はハゲている。一瞬ひるみかけたが、こんなことではへこたれない。出勤時に都会のビル風に吹かれハゲを露出し、地下鉄からに入っていく時の暴風に吹かれてハゲを露出し…ことあるごとにハゲを露出してきた僕にとって、正直このハゲに対するメンタルだけは異常に鍛えられている。なんとも思わないというと嘘になるが、見たければ見ろという気持ちである。

そしてよく見ると…いやよく見なくても…おっぱいが出ている。太ってきていて、おっぱいが出ている。ハゲているのにも関わらず、おっぱいが出ていてもう意味が分からない。これが中年になっていく蛹の身体というわけか。(理解できないかもしれませんが、僕はハゲていることよりも、おっぱいが出ていることがショックでこの後ダイエットを始めました…)

のってきた船

ツアーの詳細は忘れてしまったが、この船に乗って沖合に30分ほど出ると
、水深が浅い場所が広がっており足を付けてチャプチャプとのんびりすることができる。

座ると色々と緩和される

白くて固いソファーのようなものがあって、そこで飲み物を飲むこともできるし、海の中にネットが立っているのでバレーをすることができたり、インスタ女子御用達の立って漕ぐサップをすることもできる。

初めてのサップ

生まれて初めてのサップ体験だったが、若者が挑戦して何度もひっくり返るのを横目に、一度も転ばず進むことができた。ツアーの現地人からも、「good…!!」と言われて気をよくする僕。昔から運動能力は低いのだが、運動神経は謎に良いのだ。まるで自分が海に立っているような感覚になって、気持ちよく進んでいたのだが…。

サップハゲ

当然だが、やはりハゲていた。若ハゲが、サップに乗ってニコニコしながらハワイの海を進んでいた。ただやはり、堂々としたものである。

疲れ果てた僕

そんなこんなで2時間ほど海に入っていたら、疲れ果ててしまった。

ここまでの僕の情報の知らなさで気づいているかもしれませんが、全て両親に任せっぱなしで動いていた。親父が運転し、母が予定を立てて家族で楽しむ時間を作ってくれていた。特に母はずっと車の中でも次に行く場所の情報を喋りながら、久しぶりの…そしてもしかしたら最後かもしれない家族旅行での会話を楽しませようと、あらゆる話題を振ってくれていた。

親父も、母も、髪の毛はかなりしっかりしているため、僕はよく自分と親父の優秀さの違いも引き合いに出しながら、僕は本当は親父の息子ではないんだと思う、という下賤な笑いの取り方をしていた。だが、それはもう二度とやめようと思う。(ただ、この世には笑いにすることでしか救われないハゲもいるということを知っておいて欲しい。)

そんな母だが…実はこの辺りから具合が悪いと言い始め、明らかに顔色が悪そうになっていた。僕はここまで色々としてきてくれたのにも関わらず、そんな母を見て少しイライラしてしまっていた。自分の母が入院したり、認知症になったりする時、いつだって狼狽えるのは男の方だ。いつまでも子供で、自分の母には永遠に太陽のように明るくそして優しくいて自分のことを許してほしいのだろう。

…っていうか、母さんが倒れたら一体明日からどうやってハワイを楽しめば良いんだ…。母さん、頼む、元気になってくれ…!!
そして翌朝、そんな僕の願いは虚しく散るのでした。

(③へ続きます…!)
https://note.com/gekidansport/n/n0bfc86263f9f

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