見出し画像

パリ・オペラ座の日々1993~1994:2月18日 イタリア料理、ルーブル美術館、Dさんパリに来る


2月18日

今日は珍しく午前中に家を出た。左岸のサン・ミッシェルまでバスで行き、S女史大推薦のイタリア料理を試す。安くてとても美味しくて大満足だった。ムニュでコース食べて、ワイン、コーヒーつけて二人で158Fってリーズナブル。薄味で軽くて何もかも美味しかった。

デ・プレ教会付近まで歩き、バレエ書籍専門店を覗くがめぼしいものが無くてパス。ルーブル美術館へ行き、ドゥノン翼を鑑賞。サモトラケのニケ、クーロス像など鑑賞。あっという間に閉館時間になってしまい、売店でCDなど購入していったん帰宅。

9時半頃にCDGへ出掛けて、23時着のDさんをお出迎え。一年ぶりの再会で、ホテルまで送ってから帰宅。

包装紙 31F
イタリア料理 158F
ルーブル入場料 40F
カフェ 23F
カフェ 30F
Virgin CD 307F
Virgin 本 33F
RER 93F
RER 68F


この日行ったイタリア料理店のことは、なぜか店名とか何も残っていなくて不明です(笑) まあ美味しかったと。ルーブルは何度目かでしたけど、まだまだ未踏のエリアが多くて焦って見て回ってます。この日は家業の石膏屋と深く関わる、古代ギリシア、ローマ彫刻が多数収蔵されているドゥノン翼を鑑賞しました。

画像6


画像1

ドゥノン翼は、ルーブルを大きく3つに分割した区分けの中のセーヌ川に面する細長いエリアです。ここは王政時代にまだルーブル宮殿だった時代から「大ギャラリー」「小ギャラリー」の名で古代美術品などが展示されていた場所で、現在は1階(フランス式に書くと0階)に古代ギリシア、古代エトルリア、古代ローマなどの彫刻類が多く展示され、2階にはスペイン、フランス、イタリア絵画などが並んでいます(構成が複雑なので他にもいろいろありますが…)。


画像8

ニコラ・プッサンの画集を持つドゥノンの肖像画


”ドゥノン”の名は、革命で王政が廃止され、ルーブル宮殿内に美術館がオープンした時の初代館長ヴィヴァン・ドゥノンに由来します。ドゥノンは画家・美術研究家で、ナポレオンのエジプト征服に美術顧問的な立ち位置で同行した人物です。館長へ就任した経緯には、皇帝となったナポレオンとの親密な関係が影響していたのでしょう。他の二つの翼の名称「シュリー」(アンリ4世の宰相)、「リシュリー」(ルイ13世の宰相)はいずれも政治面で王を支えて、ルーブル宮殿の発展に寄与した人物にちなんだものです。


さて、ドゥノン翼近辺の彫刻類の展示で最も有名なのはこの2点でしょうか。

画像2

ダリューの階段の踊り場に設置されたサモトラケのニケ


画像3

そしてミロのヴィーナス(ミロのヴィーナスは実際にはドゥノン翼に近い位置のシュリー翼内に展示されています。

上の2点はともに古代ギリシア彫刻ですが、もう少し細かい分類でいうと「ヘレニズム期」に属する古代ギリシア彫刻です。ヘレニズム文化は、紀元前300年頃のアレキサンダー大王の東征以降にギリシア文化圏で形成されたスタイルで、それ以前のアルカイック期、クラッシック期と比較して、よりダイナミックで人間的な表現が特徴です。


画像4

他にもボルゲーゼのマルスとか、


画像5

ボルゲーゼの闘士とかあります。



この辺は美術大学受験のデッサン課題としてメジャーな作品で、実家の石膏像製作でも定番品でしたから、実物を目にしたときには大感動でした。日本の石膏屋さんは、美術教育で使うための石膏像を作っていますから、こういったマルス、闘士なども一部をカットした胸像のスタイルしか作りません。でも元々のオリジナル彫刻は高さが2m前後の大型の全身像彫刻で、迫力が全然違います。


画像7

他にも紀元前3000年頃にギリシア地域に発生したキュクラデス文明の彫刻とか…。西洋彫刻について語り始めると長くなりすぎるので、この辺にしておきましょうか。


夜は、このフランス滞在に出発する前に努めていたコンピュータシステム開発の会社の同僚だったDさんが、パリにやって来ることになって、シャルル・ド・ゴール空港まで出迎えに行きました。

その会社はイタリアとの合弁会社だったので、本社がイタリアのイブレア(ミラノの西、トリノの少し北のスイスに近い場所)にあって、年に一名だけ日本支社の優秀な若手社員が1年間留学できる制度があったのです。その制度を利用してイブレア勤務になっていたDさんが、英国での研修期間の休暇にパリに遊びに来てくれました。

Dさんは一年先輩だったのですが、すごく優秀な方で、在職中は技術面のサポートなどでずいぶんお世話になっていました。コンピューターの世界はまだWindows前夜の時期で、”普通に動く”のがすごく難しい時代でした(笑) インターネットなんてまだ影も形もありませんでしたし、「マルチメディア」なんていう概念が、遠い未来にやって来るのかもね…って夢みたいに語られていた頃です。僕は退職してフランスへ遊びに(逃げて)来てましたが、Dさんもイタリア留学に応募して見事一年間勤務(遊び…笑)を勝ち取っていたのでした。

Dさんはパリは初めてということだったので、ここから2日間一緒にパリ観光を満喫しました。自分たちもまだ行ってない場所がありましたから、この駆け足観光はとっても楽しかった思い出があります。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?