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Yuri Aimotoさんの「母親になって後悔してる」を読んだ感想 を読んで

たまたま出逢えたYuri Aimotoさんのこの記事

タイトルからして、ドキッとさせられましたが、

こんな本の著者がイスラエル人の女性社会学者であることも驚きの一つでした。

著者のオルナ・ドーナトはイスラエルで、母になったことを後悔している女性を2008年から2013年にかけて調査をしたとのこと。

おそらく1対1のカウンセリングのような感じで行っていたのだと推測されます。

Yuri Aimotoさんもおっしゃっているように、

「母親になって後悔してる」と言う感情と

「子ども達を愛している」と言う気持ちは

全くの別物だと理解すること


そして

「子どもを持つこと」と 「母になること」は

はっきりと区別すること


これが重要です。

この区別を理解できていないと話にならない。

なぜなら、後悔していると言っている(思っている)母親たちも、子どものことは愛している。それが前提の人が大多数です。

もっと分かり易くいえば

「こどもを産んで後悔している」のではなくて、

「母親になったことに後悔している」ということ。


それなら、めちゃ分かる。共感できる人は、そこそこの数いると思います。

そこを混同されるのが怖くて(人でなしだと思われるに違いないから)

軽率には口に出さない・出せないでいるんだと思う。

この母親たちが、これまで心の底に抑え込んできた、沈めてあった、無意識的に隠していた誰にも言えなかった気持ちが、
インタビューを通じて、ようやく湧き出てきたんだと推測できます。

筆者はこう書いている。
「すべての女性の手の届くところに選択肢があり、それによって私たちが自身の体、生活、決定の所有者であることを保証されるべきだと信じている」

ところが現在、実際には、やはりというか当たり前のように

「女性は母親になるべき」もしくは「母親になった女性は、その役割に喜びを感じるべき」というような社会通念が存在する。

本書でインタビューされた23人の母親たちは、今まで誰にもわかってもらえないと最初から諦めていた「母親になって後悔する」という感情を、ようやく声に出すことができたわけで、そういった女性達に居場所のようなものを与えるキッカケに与えたのではないかと思う。

それは、
母親でも、母親になったことを後悔してると思ってもいいんだ。
そういう感覚を持っている人は、私だけじゃない。
って本人達が思えたら、それで安心感をもてるから。

推測だけど、後悔の種になるものはいくつかあるんだと思う。

例えば、私は母親に向いていないと思ったり、子どもをどう扱っていいのかわからないというふうに自信がなかったり、キャリアを奪われてしまう感覚に陥ったり。。 etc.

本書の中で、ある幼児の母が言った言葉が忘れられない。

「お母さんであることに我慢ができません。この役割に耐えられないのです」。


著者はこういった声を受けて、母であることは「いつか克服できる困難」ではない。と書いている。

冷酷な現実だ。

確かに、いったん母になると、何歳になっても母であるという役割から逃れることはできない。

自分がおばあちゃんになって、孫がいても、まだ自分が母の役割から逃れられないということに苦しんでいる、そういう女性が、現に存在するんだ。
それこそ、世界中探したら、たくさんいたし、これからもいるんだろう。

今まで、そんなこと普通に語られてこなかったのは倫理的な問題なのかな?

でも、さすがに、誰にでも人権を!と叫んでいる今の世の中なのだから、この感覚(だけ)をタブー視するのはおかしいと私は思うんだけど。



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