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徒然なるままに61『長文と◯◯ページ以上必須のレポートと』

今日は無理せず休みとする……と時間もなくて日記形式の予定でしたが、思ったよりも書けてしまったので徒然なるままにシリーズにします。


これもnoteを続けてきたおかげなのか何なのか。
簡単な感想を書こうと思っても長文になることが多い。
長文は熱量は伝わるのかもしれないが、逆に長ったらしくして伝えたい部分が伝わらない可能性もあるので、その辺のバランスが難しいなとヒシヒシ感じることがある。
時間に追われている現代、長文を読むことすら難しいのである。
だからといって、Twitter(現X)は140文字は短い。
元々英語圏のツールなのだから140文字は日本語には合っていないのだ。
言葉足らずや伝えたいこととは違ったように取られることも多々ある。
毎回140文字に収まるように試行錯誤、推敲、添削……あまりにも時間がかかり、ストレスを感じたので、noteに移動してきたという経緯がある。

長文と言えば学生時代のレポートを思い出す。
個人的には量より質だと思うのだが、残念ながら学校生活というのはそうではなく、今は分からないが当時は量を求められていた。
自分が通っていた学校が残念だっただけなのかもしれないが、「◯◯ページ以上書いて提出」という制限のある授業が多かった。
中身がある授業であれば何ページでも書けるものだが、中身のない授業だとこれが難しい。
少ない素材を用いて、どれだけ金箔のように薄く伸ばして提出するかの技術が問われる。
あくまでページと言うので文字のサイズで稼いだり、言い回しを長ったらしくしたり。
正直、「◯◯ページ以上」というのは本質的ではないと感じる部分である。

まあ、社会に出てからも質よりも量が求められるようで、入社したての頃に中身のないような講習で「レポート提出!」と言われたので、学生時代の経験を活かして金箔のように薄く伸ばしたレポートを提出し、個人的には再提出覚悟で提出したのだが、社内で回覧されるくらい上司は感銘を受けたようだった。
それこそ長文で熱量は伝わったらしい。



言葉とはまだまだ不完全なコミュニケーションツールではあると思うが、それでここまで社会が成り立ってきた。
今更ながら、もうちょっと国語や言葉に関することを学べばよかったなと思うとともに今からでも遅くはないと言い聞かせる。
今より早い時はない、人生は日々勉強が今年のテーマかもしれない。
今日はこの辺で。


ギアでした。゜ω゜)ノ

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