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神も仏も皆、人の心の中にあるものだ

チャンチャンチャーン、チャンチャンチャーン ♪
と聴いて、その後に

・ジングルベル
・青い山脈

のどちらの旋律が浮かぶのかで、若者度を測定されたことがあったっけ。中学生の頃。

それはともかく。


神も仏も皆、人の心の中にあるものだ」ということばから、

ア どんな人にも、神や仏のような存在を受け入れる心が宿っている
イ 神も仏も人の心が生み出したもので、確かなものではない

のどちらに近いことを考えましたか?

私が考えたのは、ア でした。

これは、鎌倉幕府第三代将軍 源実朝(さねとも)さんが詠んだ歌の、現代語訳です。

実朝さんは、甥っ子に暗殺されて、満年齢 26 で亡くなってしまう人ですが、その歌の才が、芭蕉や正岡子規にも評価されたとか。

それで、一体どんな歌を詠むんだろうと見ていたときに、特にこの歌が目に留まりました。

いろいろと辛いことや苦しいことがあっても、神や仏を考え出したのは人間。だから、そういう存在を解する人間の中で生きていける。

と、そんなふうに解釈して、「すごいなあ。800 年も前にこんなふうに考えている人がいるなんて」と心が温まりました。

でも。

実際は、最終的にご本人も命を落としてしまうほどの権力争いの中で、そんな呑気なことを考える、というのは難しく。

誰も信じられないような環境の中で、神や仏さえも救いにはならないと嘆いている、イ の方向の解釈の方が、ご本人の気持ちには近い様子です。

いずれにしても、800 年前に、神とか仏という存在を「人間が生み出したもの」と言えるだけでも、新しい気がします。

正しい解釈、というか、実朝さんの実像に対する研究も、もちろん大切。でも、800 年の時を経て誰かの心に届いたのであれば、どんなふうであっても、それもまた実朝さんの生きた証じゃないかな、と思います。

神といひ 仏といふも 世の中の 人の心の 外(ほか)のものかは

≫ ≫ ≫ ≫ ≫ ≫ ≫ ≫ ≫ ≫ 源実朝(1192 - 1219)『金槐和歌集』巻下・雑部 より