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「進路を決める」がやてっく~誕生前夜~#51

会社を辞めると決意したあと、もろもろの準備を始めた。

まずは転職先だ。仕事が無くては生活が出来ない。世はコロナウイルスが蔓延し、混乱していた。正直、就職先があるのかどうか、僕にはよく分からなかった。

選択は2つあった。就職か独立だ。

正直なところどちらでも良かった。これだけはやらないと決めていたことは、商品やサービスを形にせず、知識やノウハウ、スキルを販売することだった。

今もあるのかもしれないが、当時は今よりも「知識やノウハウが売れる」ということへの理想が強かったと思う。理想というのは、それで生計が立てられるという幻想のことだ。写真撮影や動画編集は、仕事になるのかもしれないが、生計を立てられるほどのものではないと思う。それが許されるのは、一部のクリエイティブクラス。簡単にいえばブランド力を持っている人ということだ。

僕は当時、副業で知識を売っていた。これについては「鮮明な肌感覚」を持っていたと言っていいと思う。この方法は絶対にどこかで天井を叩くことになると。

知識やノウハウなんてものは参入障壁が低すぎる。年齢に応じて戦えなくもなるだろう。サラリーマンとして、タスクをこなすよりは楽かもしれないが、それが長い時間継続されるとは思えない。人はいつか老いるし、知識はいつか古くなる。理解できなくなった時点で、だんだんと仕事は減っていくのだ。

僕は仕事をしないでよくなるその日まで、延々とその仕事を続けることは絶対に出来ないと思っていた。だから就職するにせよ、独立するにせよ、知識やノウハウの比重が大きい仕事だけは避けたいと思っていたのだ。

そもそものスタンスについても見直した。これは今でも変わらないのだが、僕は基本働きたくない。めんどうくさいとさえ思っている。誰かに自分を認めてほしいとも思わないし、称賛を浴びたいわけでもない。

そういうチャンスが来ればそれでいいし、来なければ来ないで別にいいのだ。

だからこそ、やること成すことを都度都度変更しなければいけないような状態は避けたかった。今持っている資産を利用し、出来るだけエネルギーを使わずに仕事が得られることが最適解なのだ。

僕が持っている資産は3つある。

営業、編集、越谷市

特に越谷市は大きい資産だった。得意なフィールドを持っているだけで、仕事を得る難易度は低くなる。

持ち出した要素を順に並べてみると、自分が割と良い環境にいることが分かった。

こうなってくると、就職か独立かを選ぶ必要性はないのかもしれない。そう思った。

そんなことを考えた次の日のことだ。会社に出社すると下野さんが朝会議でこう言った。

「このままのペースで進んでいけば、この事務所はたたまなければいけない」

越谷の事務所は以前から、撤退か継続かを問われている状況にあった。でも今まで、上司が部下に対して明確に撤退を口にしたことはなかった。この会議はとても印象に残っていた。リーダーがかける脅しとしては最悪の一手だと思っていたから。

前回の新規事業会議とこの朝の会議。そして、下野さんの発言と対応。

まさかこれが、僕の指針を決めるきっかけになるとは思わなかった。

僕は決めた。

越谷市にC社が配っていたフリーペーパーのようなWEBニュースサイトを作ると。

この時は独立ではなく、僕がやるべき副業はこれだというくらいの感覚だった。でもこの感覚が、後に生まれるニュースメディア「越谷雑談がやてっく」のキッカケだったのは間違いない。

この日、越谷雑談がやてっくは生まれた。生まれたのだ。

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