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少し変わった同窓会③

この同窓会を発起した人のあいさつが終わって、プログラムがスタートした。プログラムと言っても、あいさつ終了後に用意したプログラムの項目は1つしかない。

本日参加した人間が「現在どんなことをやっているか?」というのを発表するというものだ。

・この会に参加しようと思った理由
・現在なにをしているか?
・前職で得た学びが、今の活動にどのように活かされているか?
・これから何をしていくか?

この4つの項目を満たしながら、2分程度で発表していく。50人近くの人間が順番に発表していくことになるため、まぁまぁな時間が必要になる事だろう。発起人はあいさつの中で「自分の発表を頑張るのではなく、全員の発表を聞くことに意識を向けましょう」と言っていた。

僕は様々な思いがあった。ネガティブな思いも、ポジティブな思いも含めて、渦のように葛藤していた。

僕は発表に集中することにした。前職で教わったことと、前職の文化が生み出した仮想教育とを、きちんと分けたほうがいいと判断した。みんなの話を聞く・みんなで素敵な何かを作る。これは前職の教育ではなく、前職の文化が生み出した理想の姿だったと僕は思う。社内で影響力を持った人間が言い出した、弱い人間を量産するための甘やかしに過ぎない。そう感じていた。

前職で僕が教わったものは、強くなることだ。勝つのではなく強くなること。自分で考え、自分で決め、自分で動く。これが出来るようになるために必要な手段はすべて教える。前職で働いているとき、僕はずっとそう言われている気がしていた。

どっちが正しいとかではないと思う。教育なんて、受けた人間の印象でいくらでも変わってしまう。僕がそう捉えただけで、他の人間はそうじゃないのかもしれない。それならそれで別にいいのだ。でも僕は、自分が信じたものを突き詰めた方がいいと思った。面倒だなぁと思いながらも、せっかく来たなら報いたい。それだって、結果は残すべしという前職の教えであって、そこをぶらしてしまったら、前職にいた何年間かの時間が無駄になってしまうではないか。

僕はそう決めて、発表にのぞんだ。考え事をしていると、いつの間にか順番が回ってきていて、気づいたら、現在発表しているグループを控えの椅子で見ている状態になっていた。

発表といっても、1人1人がダラダラ立ち上がって発表するものではない。司会の人間が名前を呼び、グループでお立ち台に立って、1人ずつ順番に発表していく。次にお立ち台に立つメンバーは、横の椅子に座っていて、前のグループが全員発表を終えたら、お立ち台に上がっていく。そんな感じだ。

僕は、同じタイミングで入社したメンバーと一緒にお立ち台に立った。

グループの中で最後に発表することになっていた僕は、ボーっとしながら発表している同期の姿を眺めていた。ふと、彼らと同じタイミングで入社したことが、とても不思議なことのように思えた。それはすごい確率で、すごい出来事なのかもしれない。そんな風に感じた。

「こういう場所、緊張しない?」

隣にいた同期の女性に、不意に声をかけられた。

前職では、何度も何度も、全員の前で発表させられた。それは強さを身に着けるための手段の1つだったと今の僕は理解していた。

僕は「全然しない」と答えた。

僕の順番がやってきた。

「僕がこの会社で学び、今もなお活かされているものは、ブレない精神です」

発表は、あっという間に終わった。言いたいことを淡々と述べ、気づいたら終わっていた。

自分の席に戻った僕は、前職で学んだこと・得たものが、今の発表で伝わっていればいいなぁと思うようになっていた。それが伝わって、誰かの刺激になってくれれば、今日、わざわざここまで出てきたことに意味があるのかもしれない。そう思えるような気がしていた。

発表は相変わらず続いた。後になればなるほど、もたついている印象があった。

僕はまた、ハッとさせられていた。僕はいつの間にか、壇上に立っている人の話を聞いていた。文化が生んだ仮想教育だと思っていたものは、いつの間にか僕の中に刷り込まれていて、それも僕自身を形成する一部分なのだと思いしらされたのだ。

意思と身体が別々の動きをしているようで気持ちが悪かった。なんとなく、コントロールが効かなくなっていた。

僕は今、この会が終わった後に、どんな心境を描いているのかということが気になっている。そこには、何かを得たいという期待と、もしかしたら僕が、今までの僕ではなくて、別の誰かになってしまうかもしれないという不安があった。

僕はこの後どうなるのだろう?僕にはよく分からなかった。

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