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【聞こえるかい、魂の歌が】8.体育倉庫にて#2 2つの世界のバランス

僕がこの場所で時間に身を任せようと思ったのは、助かる確率の高さだけが要因ではない。僕のここ最近の日常を、もう少し離れた場所で考えてみるにはとても良い機会だと思ったのだ。今朝学校へ向かうとき、先週から僕の日常には変化が起き始めているような気がしてると感じていた。それは歩いている最中、一瞬だけ思った程度のことなのだけれど、ふと思ったことが通り過ぎるわけでもなく、僕の中にしっかりと鎮座している理由は、そのことについてきちんと考え、向き合うべきだということなのではないだろうか?

そして、それを具現化するべく訪れた体育倉庫でのトラブル。僕にはこの出来事が、とても運命的なものだと思えたし、自分の魂が見えない力で、見えない何かに引っ張られていると肉体が感じているのだと思えた。

叫んで暴れれば、きっと誰かが助けに来てくれるこの状況は、ある意味で分岐点であって、ここで外に出ることを選択した場合、僕の日常は先週以前の退屈なものに戻ってしまうことだけは分かるのだ。

暗闇に目が慣れてきて、倉庫内にある体育用具の正体がぼんやり見えてきた。まるで反比例のようだった。不思議なことに、現実世界がくっきりとすればするほど、僕の頭の中の声が大きくなってくるのだ。僕は少しずつ、自分が今声を出しているような感覚に陥り始めていた。この声が頭の中でなっているものなのか?それとも、自分の口から放たれている声なのかが分からなくなってきた。

僕は少しだけがむしゃらに、この声は頭の中で鳴っているものなのだと言い聞かせた。頭の中で鳴っている声でなければ、すでに誰かが助けにきて、僕は外の世界にいるはずなのだと。

時間の感覚もだんだんと遠のいていった。先ほどのチャイムは、恐らく16:10分になるチャイムのはずだ。帰りのHRが始まる目安としてなるチャイム。僕のクラスは体育だったから、もしかしたら今頃帰りのHRが始まっているかもしれない。

今は何時か分からないけれど、それほど時間は経過していないだろう。というか、時間の感覚だ遠のいていくにつれて、僕の中ではどうでも良いものになっている。僕が教室にいなかったとして、先生が少しだけ触れて終わりだろう。まったく、しょうがないなぁ~とか言って、帰りのHRが進んでいくはずだ。

僕はHRに参加しなかった自分に対して、ほんの少しの焦りと優越感を抱き始めていた。HRという視点で僕を見た時に、僕が随分と日常から外れた、距離の遠い場所にいることが分かったからだ。そして、僕がHRにいなかったとしても、日常は淡々と流れていくわけで、そこには僕という人間の小ささまでもが反映されているのだった。

ふと僕は、そろそろ運動部が体育倉庫を開けにくるのではないだろうか?と考えた。放課後になれば部活動があるわけで、運動部は恐らく、体育倉庫に何かしらの用があってもいいはずなのだ。陸上部なら、先ほど片づけた高跳びに必要なものを準備するかも知れないし、白線を引くこともあるかも知れない。サッカー部ならボールが必要だろう。

見つかったって構いやしないという気持ちと、見つかったときのかっこ悪さを想像して、やるせないなぁと思った。僕の中には沢山の僕がいて、1つ1つが代わる代わる出てきては、色々な場面で色々な人間と対峙しているというのは、とても不思議なことだった。

もしも運動部の人が僕を見つけたらなんというのだろうか?その時僕はなんと返すのだろうか?そんなことが気になった。もしかしたら身を隠すべきなのかもしれないし、このままボーっとしているべきなのかもしれない。

僕は体育倉庫の中で、だんだんと時間や空気と一体化してきているのだ。それは、肉体と魂が分離するようなもので、僕は今、マットの段差を利用して三角座りをしている僕を形から呼吸から表情から何から、きちんと正確に把握している。その気になれば、次にどんな動きをするのかさえ分かるのだ。

長い時間が経過したような気がした。小さな窓から差し込むわずかな光が、茜色の空を赤紫に染めているのが分かった。

運動部は体育倉庫に入ってこなかった。担任も僕の痕跡を追いかけはしなかった。僕は僕の周りを、多くの人間が通り過ぎていくような実感を覚えた。それは怖いことでもあり、不思議なことでもあり、同時に穏やかなことでもあった。

一度自分の肉体に魂を馴染ませる努力をした。指を手の内側に曲げ、首を回し、眼をパチパチさせた。自分が、自分であることを再認識するかのように、1つ1つの動作を丁寧に確認した。僕はやっぱり僕だった。

自分の肉体に魂が定着したと思えた頃、遠くの方で生徒の声がした。「ボール!早めに出せ!」というセリフから、サッカー部であることが分かった。

なぜ彼らは体育倉庫に来なかったのだろう? なぜボールはグラウンドにあったのだろう?

一瞬考えたが答えは分からなかった。

グラウンドには活気があった。まるで世界が2つに分かれたみたいだった。僕が今いる場所とグラウンド、そこには大きな隔たりがあって、混ざったり離れたりしながら、世界のバランスを取っているのだ。

僕はまた、混ざることができるのだろうか?

考えてみようと思ったけど止めた。それはそんなに重要なことではない気がしたからだ。

僕は再び、自分に問いかけた。この状況と最近の出来事は、僕のこの先の未来にどんな影響を与えるのだろうか?と。


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