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海辺の村の漁師【後編】(ショートストーリー)

その日は年に1度のサメ漁だった。もう何日も魚を釣っていない彼からすると、そのイベントは意味のないイベントだ。サメを捕獲する理由は、漁師や村の安全のためなのだから。

彼が海に出る直前も、やっぱり村人は笑っていた。サメを捕獲している暇があるのなら、普通の魚を釣った方がいい。それは至極真っ当で、逃れようのない正論だ。

彼は黙って船の準備を進めた。どんなことを言われても、彼は船を出そうとした。英雄に戻りたいからではない。父のため、自分のため、戦わないといけないからだ。

漁が始まった。

多くの船がポイントに向かう。

そんな中男は、多くの船が向かう方向とは違う方向へ向かった。漁師たちは彼の姿を笑った。とうとう基本まで忘れたのか?と。

なぜ男がそんな行動を取ったのか、語っている私にも分からない。ただ男は「呼んでる」と言った。そして、その声に向かい、意志のままに突き進んだのだ。

海はどこまでも青かった。太陽の光がはっきりと映し出されていた。とにかく暑く、時折水面に光る銀色が男の汗を誘発した。

彼は声のする方へ進み、ポイントを見つけた。

仕掛けを張り、仕留める準備をし、身体と心を整えた。1分か2分か、とにかく一瞬の事だった。彼の仕掛けた罠が大きく揺れた。男は立ち上がり仕掛けを引き上げ始めた。すると、船が大きく揺れ、水面が騒ぎ出した。

仕掛けが重く、左右に揺れる。この感覚は男にとって久しぶりのことで、湧き上がる感動と焦りを抑えることに必死になった。

仕掛けた罠を半分ほど上げたときだった。それまで感じていた重みとは比べ物にならないほどの負荷が、男の太い腕に伝わった。その瞬間、ポイントに止まっていた船が動き出した。それは、この仕掛けの下で必死に生きようとする生き物の生命力そのものだった。

彼は察した。勝負の時であることを。

「あの時と同じだな。敬意を表する」

男は腕に渾身の力をこめた。必死に自由を手にしようとするその生命を捕獲するために。それは、彼が英雄と称されたときのものと比較すると、圧倒的に大きな力の差がある。この下で動くそのサメは、間違いなく、あと時以上に大きく、そして力強い。

彼は波の揺れにより足を取られることを防ぐため、船の手すりに足を固定していた。船が沈没すればすべてが終わるが、万が一自然の怒りに触れ、大海原に放り出されることは防ぐことが出来る。

これはある種の賭け事だ。なぜなら、相手が強ければ強いほど、身体に激痛が走るのだ。男がこの方法を採用するのは、その戦いの勝率が50%であるということを意味している。だがそれは、男にとっては喜ばしいことで、自分がここにいることを証明するための唯一の方法だった。

「久しぶりに感じる」

男は痛みに耐えながらも、それを少し喜んでいた。自分のことを本気で理解してくれていることが嬉しかったのだと思う。様々な感情が沸き上がる中で、彼は彼のすべてをさらけ出すことが出来ていることを、自身で察知することが出来たのだ。

大物は相変わらず暴れている。右へ左へからだを揺さぶり、男の腕を繋いでいる太くて硬い鉄線に電撃のようなダメージを与え続ける。「これは持久戦になる。より多くの体力を持っている者が勝者となる」と言わんばかりに。

気が付けば戦いは3時間を超えていた。彼の腕は赤く腫れあがり、ほとんどの感覚を失っていた。たまに感覚らしいものがやってくるが、それは、自分の腕がただただ痺れているということを脳が理解しているだけだった。

彼の頭の中を「敗北」という2文字がチラつく。目の前の対戦相手は、それくらい強い。多分今まで、いくつもの生物を蹴落としてきたのだろう。このままこの戦いをしていれば、確実に体力を奪われ、取り逃がすことになる。最悪、この船を攻撃をされ、命を失うことになるだろう。

相手は相変わらず暴れている。右へ左へ上へ下へ。身体を大きく揺さぶっては、男の腕にダメージを与える。

男は身体を前に引きずられそうになる。すると、固定した足が枷となって、男の身体にダメージを与える。これをひたすら繰り返し、気づけば辺りは暗くなり始めていた。

村の方から汽笛が聞こえた。それは、今日のイベントの終わりを迎える合図だった。

男は右の耳でその汽笛を聞いた。ここで身を引き、帰るという選択もあった。それは同時に、男が二度と戦場に立たない事を意味していた。

「勝負ってのは・・・頭の良い奴や腕力がある奴が勝つわけじゃねぇ。結局最後は「覚悟が決まっている奴」が勝つんだよ」

男は足の固定を外し、その分を身体中に鉄線を巻き付けた。腕だけではなく身体全体で獲物を引き上げようとしたのだ。これは彼にとって、最後の大勝負だ。海に放られるリスクは大きくなるが、相手の体力を早く奪うことが出来る。

相手も本気で暴れだす。男はそれを両足で堪える。これをひたすら繰り返す。

さらに1時間が経過した。先ほどまで、海の中で暴れていた獲物に大きな変化が現れた。真っ暗な海の中に黒いヒレが姿を見せたのだ。

「確実に上昇している。これが最後の戦いだ」

彼は戦いの終わりを予感した。そして、相手が右に揺れたら左に鉄線を引き、左に揺れたら右に鉄線を引いた。与える負荷を大きくして、なんとか相手の体力を削りきろうとしたのだ。

獲物は船よりも大きいサメだった。「確実に相手を仕留めようとする王者の目」をしていた。

大きなサメは船の周りを暴れながら回った。しかし、20分が経過する頃には、その円もだんだんと小さくなっていった。

彼はモリを構えて言った。

「ありがとな」

サメが描く円が、船から最も近くなったころ、男はモリでサメを刺した。

辺りはとても静かだった。戦いを終えた彼が次に見た景色は、大きな満月だった。海は銀色の光をさらに眩く映し出した。男の心は激しく打つ脈と沸騰した身体が海風に晒されて少しずつ乾いていくのを感じた。

船が港に戻ると、多くの村人が彼の帰りを待っていた。

浜辺についた男はふらふらしながら、村人に見向きもせず、船の片づけを始めた。

村人は、彼が獲ったサメの大きさを見て驚いた。そして、英雄の復活を喜んだ。サメは、彼が英雄となった420kgを超える560kgの超大物だった。

村で一番偉い村長は言った。「このサメは確かに大きい。これが村のためにもなるだろう。だがしかし、彼がこれを村に運んだ時にはイベントは終了していた。だから、彼に優勝を与えることは出来ない」と。

村人はこれについて議論した。村長の言葉を支持するものもいたが、大多数は、納得できないという意見だった。

男はそんな村人の声を、朦朧とした意識の中でぼんやりと聞いていた。そして、身体が覚えている船の片づけを終えると、何も言わずに家へ帰ってしまった。

海は月の光を受けて、深い青色に輝いていた。

男は家にたどり着き、ドアを開け、自分の寝床にバタンと倒れた。

海では男が倒れたバタンという音と同時に魚が跳ねた。波は、静かにきれいな音をリズムよく刻んでいた。


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