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海辺の村の漁師【前編】(ショートストーリー)

「勝負ってのは・・・頭の良い奴や腕力がある奴が勝つわけじゃねぇ。結局最後は「覚悟が決まっている奴」が勝つんだよ」

その男は海に出ていた。切迫とわずかな期待を抱きながら。

彼は3年前、村の英雄と呼ばれ讃えられた。海に出る巨大なサメを釣り上げたのだ。このサメは漁師たちを困らせていた。釣った魚をその場でバクリと持って行ってしまうからだ。

この村には年に1度、サメを捕獲する日があった。釣ったサメは肥料や革製品、刺身やフカヒレなどにして、余すことなく利用する。漁業のため、漁師の安全のために行われる大切なイベントで、とても意味のあるお祭りなのだ。

彼もまた漁師だった。それもとびっきり腕が良かった。男はサメに強い恨みを持っていた。彼の父親もまた漁師だったが、サメに襲われて亡くなった。

男は男の父親が亡くなった年に、420kgのサメを釣り上げて英雄になった。このサメは周囲の漁師たちも危険視していて、見つけたらすぐに逃げろという指示を出す船もあったようだ。そんなサメを、男は釣り上げた。それもたった1人でだ。

彼はクルーを組まなかった。かなり危険な漁に出るから、周囲は彼と船に乗るのを嫌がったのだ。

彼はそれでも良いと思っていた。誰かと一緒に船に乗ると背負うものが生まれてしまうから。失うものが何も無い方が、自分がすごく楽だったのだ。

彼は英雄と呼ばれることにも興味を示さなかった。肩書が欲しくて船に乗るわけじゃなかった。目の前で必死に生きている生物と真剣勝負をする。それがとても楽しくて、男曰く「下腹が締め付けられる感覚がある」らしかった。

420kgの巨大なサメを捕獲した時も、サメに対して恨みはあったものの、必死に生き、生きるために戦う覚悟に尊敬の念を抱いていた。

男はこのサメを釣り上げたあと、不調に陥った。海に出ても、なかなか成果をあげられなくなった。男はこれを運だと言った。でもそれは、村の人間からすると「終わり」に近かった。

男は色々なことを陰で言われるようになった。あいつも終わったな。英雄は過去のもののようだ。もてはやされたからねぇ~。

男は気にしなかったけど、それさえ強がりなのだと捉えられている。

そんな男は毎日海に出る。英雄と呼ばれた日から、徐々に風向きが悪くなり、今では船を沈めると、周囲からくすくすと笑われる。

彼は少し焦っていた。周りの声に対してではなく、自分がもう何年も勝負できていない状況に焦っていた。感覚が鈍っていく、勘も働かなくなる、身体も弱くなる。そんな可能性が、彼をどんどん追い詰める。

前に進んでいるのか、横に進んでいるのか、後ろに下がっているのか、とにかく分からなくなりそうで、それはまるで海のようだと感じていた。

それでも男が海に出るのは、立ち止まったら何も起こらないことを知っているからだった。逆に言えば「今日は何かが起こるかもしれない」「明日は何かが起こるかもしれない」という残された希望に巡り会うこと。漁師である男の場合、その希望は海にしかないし、海以外に自分の存在を証明できる場所はないのだ。ここで何も考えなくなってしまったら、感じなくなってしまったら、それはもう死んだと同じことで、周囲の人間から笑われることを肯定し受け流していることと同義となってしまう。彼は自分で自分を殺す事だけはしたくなかった。それだけはしたくなかったのだ。


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