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いま、#いまコロナ禍の大学生は語る、を語る

#いまコロナ禍の大学生は語る

明日は、11月8日。なんてことのない1日。
なんてことのない1日になったのは、ちょうど半年前。
5月8日。新型コロナウイルス感染症が、5類感染症に移行した。

もしかしたら、そんなに5類感染症への移行ばかりを取り上げるべきではないのかもしれない。
それ以前からコロナ禍に対する社会的な慣れは生まれていたし、逆に5月8日を跨いでもマスクをしている人は多かったはずだ。
なんてことのない1日になったのはどこかの1日からではなく、何ヶ月もかけてゆっくりとだったし、今もなんてことのない1日とは思えない人がもちろんいる、かもしれない。

それでも、5類感染症への移行は私にとっては大きかった、はずだ。
少なくとも、そのニュースを耳にしたことで、コロナについてのイベントを企画しようと思うくらいには。
そうして2月か3月かくらいに、私はコロナ禍をテーマにしたイベントの企画を始めた。仲間を集めて、mtgをして、イベントに先立つnoteの文章投稿企画をメイン企画に据えることにした。自分も文章を書いて、友達にお願いして、たくさんのnoteが書かれた。それを更に盛り上げるために、オンラインイベントも開催した。
そう、 #いまコロナ禍の大学生は語る である。

これまでの道筋

この企画がどんな企画だったのか、そのコンセプトはこちらから見られる。

私も、実際に文章を書いた。

みんなの文章も調べればたくさん出てくる。

イベントの様子だって残っている。

この企画が生まれた背景だって、書いているし語っている。

そうして、#いまコロナ禍の大学生は語る というプロジェクトは、一通りの活動を終えていた、つもりだった。
そんな頃、コロナ禍の記憶をテーマにしたシンポジウムに呼んでいただけた。そして私は、11月頭に大阪大学へと向かったのだった。
コロナ禍の記憶に再び向き合うために、そして、#いまコロナ禍の大学生は語る というプロジェクトについて、いま再び語るために。

いまの記憶に触れる3つの意義

 シンポジウムで3人の方のお話を伺いながら、いまの記憶、固く言えば同時代的な記憶に触れ、伝えようとする営みには、大きく3つの意義があるように思った。それは、①未来に残すこと、②自分を振り返ること、③他者に出会うこと、の3つである。
 そしてこれらはどれも、#いまコロナ禍の大学生は語る にも当てはまるように思われた。「いま」、#いまコロナ禍の大学生は語る について考え直し、語り直すことで、このプロジェクトの持っていた意義と占めていた位置を自分なりに振り返りたい。

未来に残す

 シンポジウムの最初に報告されたのは、コロナ禍にまつわるモノ資料を学芸員として地域博物館(吹田市立博物館)に収集されていた方だった。コロナ禍のモノ資料を「いま」収集しておくことで、その資料を100年後に残し、100年後にコロナ禍を解釈するときの材料になるように、というお話があった。
 お話を伺いながら、プロジェクトメンバーの一人であった私にとって、#いまコロナ禍の大学生は語る は、博物館のようなものだったのだと感じた。私たちのしていた取り組みは、確かにモノ資料を扱うものではない。しかし、地域の方々がモノを博物館へと寄贈することで、学芸員が資料を収集できたように、多くの大学生が思いや語りをnoteというプラットフォームへと寄託することで私たちはコロナ禍の記憶を収集できていた。そしてそれは、「いま」目の前にあるモノや記憶を、後世に伝えたい、残しておきたいという思いをもつ営みであった。
 だからこそ、 #いまコロナ禍の大学生は語る というプロジェクトは、価値づけをすることに徹底的に抵抗していた。ミーティングのなかで、「コロナ禍」という言葉を使っていいかどうかさえ議論したのが思い出される。コロナ禍に対してその個人が考えていたことを、要約せず、代表せず、抽出せず、ただ一覧化すること。ただ、できるだけ多くの語りを見えるように飾っておくこと。それが、#いまコロナ禍の大学生は語る というnoteプロジェクトであった。

自分を振り返る

 一方で、書き手の一人であった私にとって、#いまコロナ禍の大学生は語る は、自身のこれまでを振り返るタイミングでもあった。
 シンポジウムの中では、コロナ禍を主題的に扱う授業を実践された高校の教員の方が報告されていた。その授業では、高校生が自身のコロナ禍をワークシートで振り返り、その後生徒同士で相互インタビューをする時間をとっていた。その一連の授業は、生徒が自身の中学生活や高校生活を振り返る機会になっていたそうだ。
#いまコロナ禍の大学生は語る もまた、書くことで3年余りのコロナ禍を振り返る営みであった。私がこのプロジェクトを立ち上げようと思ったこと自体、コロナ禍と大学生活の重なってきたこれまでの3年間を振り返りたかったからとも言える。文章を書きながら、大学1年生のころを忘れかけていることに気付き、必死に思い出そうとして、自分の足跡をたどって書き記したのが投稿したnoteだった。
 実際にnote企画に参加してくれた他の方々からも、いい機会になったと言っていただけることが非常に多かった。3年間の振り返りを、あるいは自分自身の、自分が大切にしたいことの振り返りをするタイミングにしてくれた人がいた。自分自身の記憶に1人で向き合うことは、簡単なことではない。わざわざ記憶を振り返ることにハードルを感じる人もいるだろう。だから、#いまコロナ禍の大学生は語る という、みんなで文章を書く場を設けることで、共にそれぞれ記憶に向き合うことができたのかもしれない。

他者に出会う

 読み手の一人であった私にとっては、#いまコロナ禍の大学生は語る はさらに別の意義をもつ。それは、他者に出会うということである。他の人のnoteを読んでいると、同じ大学生が同じコロナ禍という社会現象を受け止めことを扱った文章であるにもかかわらず、全く違う調子で全く違う内容が書かれていることに気付く。自分に見えていたコロナ禍の大学生活と、他の人に見えていたコロナ禍の大学生活が、あまりに違うことに直面させられる。
 相手が自分と違うということは、悲しいことではない。相手には自分とは違うように世界が見えているのだと気づくことは、新たな世界の現れ方に出会うということだ。今回のシンポジウムで報告された阪大の日本学研究室の皆様の取り組みも、他の人と出会う取り組みであった。コロナ禍の大学運営に格闘してきた大学職員の方に出会う、学園祭や地域のイベントに来た人と出会う。出会うというのは、単に顔を合わせるということではなく、相手が何を見て、何を感じ、何を考えていたのかを聞くということだ。研究室の皆様が出版された書籍『コロナ禍の声を聞く』の副題は、「大学生とオーラルヒストリーの出会い」であったが、その中身を読めば、大学生がオーラルヒストリーに出会い、さらにそのオーラルヒストリーを通じて自分とは違う他の人たちと出会ってきたことがよくわかる。編者の大学生たちがそうして他者と出会ってきたことは、編集後記ににじみ出ているように感じられた(ここだけでも、ぜひたくさんの人に読んでほしいと勝手ながら思った)。

ここまでの私たちでは辿り着けなかった語り、まだ言葉になり得ぬ痛み、思えば思うほど世の中に存在する声は数え切れませんが、この本がこれからの生活を営む中で皆様の小さな助けになりますようにと願っています。

『コロナ禍の声を聞く』

聞き取りをしていると、本当の意味で心の内を聞くことなんて、できないのではないかという気持ちがきざすこともあります。しかしそれでも、生身の人どうしがことばを交わしていくことで、その不断の実践によって、その人の内側にあるなにかに触れられるような瞬間もまたあるように感じます。私はいま、聞くことの可能性を信じたいと思っています。

『コロナ禍の声を聞く』

   #いまコロナ禍の大学生は語る が、大学生だけに限定されたことには、2つの理由があった。1つは、現実的に拡散可能なのが大学生であったこと。もう1つは、「同じ大学生」であっても「違うように語る」ということを浮き彫りにしたかったからだ。それぞれの人の記述や語りの違いを、役職や立場の違いに回収されたくなかった。私は私で、あなたはあなただから違うのだということを、読む人皆に感じてほしかった。
#いまコロナ禍の大学生は語る は、他者と出会う場となれただろうか。少なくとも私は、他の人のnoteを読みながら、あまりに自分とは異なる話ばかりだと感じることができた。中には、全く意味を理解できないようなものもあった。そしてだからこそ、読み続けることができた。その人なりの大学生活がそこにあったのだと、文章を通じて他の大学生に出会うことができた気がした。

いつまでコロナ禍の大学生は語るのか

 #コロナ禍の大学生は語る というこのプロジェクトをこの先どうするのか、と問いかけられることがしばしばある。正直なところこれまであまり考えてこなかった。それは、5類移行にどうにか間に合わせようと、急ぎ焦るようにして立ち上げ、走り切ったプロジェクトであったからだ。しかし、こうして5類移行からはや半年が経過し、 #いまコロナ禍の大学生は語る というプロジェクトを意義づけし位置づけられたいま、もう少し先のことも見えてきたように思われる。

 「他者に出会う」場としてのこのプロジェクトにとっては、これからも多くの人に読まれ続けることが展望であろう。もはや今となっては、自分自身のnoteでさえ他者のものになっているかもしれない。文章を繰り返し読み、繰り返し他者に出会うことが、いまの私たちにもまだできる。
 プロジェクトとして言えば、noteを改めて読む場をつくることはできるだろう。例えば、来年の5月8日に再びイベントを開催し、みんなでnoteを読むこともできる。そしてそうすることは、このプロジェクトや語りを未来に残すことにもつながるのかもしれない。更には、そうしていくことで、このプロジェクトを書籍などの紙媒体に移す機会を手に入れ、より未来に残すことにも力を入れられるのかもしれない。しかし、そんな場を設けたり、書籍化しようと努力しなければいけないのかどうかには、まだ少し引っかかるところがある。著作権等の現実的な話ではなく。もっと精神的な、自分の根本にかかわる部分で、#いまコロナ禍の大学生は語る の更なる展開を阻む自分がいる。

 イベントを開き他の人のnoteを読めば、否応なく参加者はみな、自身のコロナ禍を思い返すだろう。なぜなら、コロナ禍においては誰もが当事者であったのだから。いまの私には、それが正しいことだと、すべきことだと言えないし、したいことかどうかにはさらに疑問が残る。
 いつまでコロナ禍の大学生は語るのだろうか。私は、いつまでコロナ禍の大学生として語るのだろうか。いまだに私はコロナ禍の大学生として語りたいのだろうか。私は、いつまでコロナ禍の大学生でいればいいのだろうか
#いまコロナ禍の大学生は語る というプロジェクトは、コロナ禍を継承するためのものであったと同時に、コロナ禍に区切りをつけるためのものでもあったと思う。コロナ禍と自分を振り返る場を一度設けることで、明日からコロナ禍と自分との間に線を引けるようにする。それがあのプロジェクトの裏に潜んでいたものだったのかもしれない。それが真の目的だったのか、偶然的な効果だったのかはわからないが。ただどちらにせよ、コロナ禍なしには語り得ないという気持ちと同時に、コロナ禍からそろそろ解放されたいという気持ちが自分の内にいることに、私は気が付いてしまった。

 大学1年生、私は望まずに「コロナ禍の大学生」になった。多くの大学生がそうなるのと共に。しかし、次第に自分から「コロナ禍の大学生」に自覚的になり、意味付けするようになり、「私の大学生活はコロナ禍なしには語り得ないのだ」と感じるようになった。
 大学4年生、私は望んで「コロナ禍の大学生」になった。多くの大学生がそうでなくなるのに反して。コロナ禍の大学生としてプロジェクトを立ち上げ、少なからぬ影響を生み出した。コロナ禍の大学生だからできることを、コロナ禍の大学生としてしなければならないと思って動いてきた。
 望まずに「コロナ禍の大学生」となったことが受け入れられなくて、望んで「コロナ禍の大学生」になろうとしてきたのかもしれない、とも思う。コロナ禍が消えてしまえば自分の大学生活も消えてしまうような気がしていた。
 でも、この半年、「コロナ禍」なしでも私の大学生活はしっかりと前に進んでいた。楽しいこともしんどいこともあって、かけがえのない半年だったと断言できる。しかもそれは、それより前の3年間が実った半年でもあった。私は「コロナ禍の大学生」であるより前に、一人の大学生だったし、それなりに大学生活を送ってきたし、今もそれなりに大学生活を送れている。もしかしたら、私はもう「コロナ禍の大学生」としてでなくても、自分の大学生活のことを語れるのかもしれない。コロナ禍から卒業することが、できるのかもしれない。
 コロナ禍から解放とか卒業とか、たかだか大学生活でコロナ禍の影響を受けただけの人が軽々しく言ってはいけないことなのではないか、と脳をかすめる。コロナ禍の大学生活を語り残し伝えていくことも必要なのではないか、とも思わないでもない。それでも、私の大学生活はコロナ禍だけではなかったとも言いたいし、コロナ禍から一度解き放ちたいとも思う——そのための、5月に間に合わせた#いまコロナ禍の大学生は語る だったのではないかと。
 何が正しいのかは分からない。何をすべきか、何をしたいのか、未来でどうなっているのかは分からない。またすぐにコロナ禍を語り直したくなるのか、望んで「コロナ禍の大学生」になろうとするのか。それとも、二度と「コロナ禍の大学生」には戻れないのか、コロナ禍にきっちり背を向けるのか。正直、いまの私にはわからないなと思う。
 5類移行から、そしてプロジェクトから半年。プロジェクトを意味づけ位置づけ、この半年を振り返り、今の自分の足場を見つめておくことは必要だろうと思った。ここからどう進むかは、未来の自分に託したい、今はまだもう少し、ここで悩んでいたい。


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