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ハザカイキ

森ノ宮ピロティホールで公演中のハザカイキを観劇してきました。

まず、舞台のセットが凄かった。
転換がスムーズで、誰が何をしているのかがわかりやすかったし、見てて楽しかった。
映像の演出も音響もすごく良くて惹き込まれたし、声が聞こえやすかったのも少し席が遠かったので嬉しかった。
内容も勿論すごく良かったけど、舞台自体の演出が凝っててすごく観やすくて良かったです。

内容は、とにかく時代に焦点を当てた話で、時代の狭間に生きる人が人生の分岐点を勝手に簡単に創られてもがき苦しむ話でした。
今を生きる全ての人に観てほしい。
人生観が変わるとかではないけれど、今の時代を生きる為の軸に肉付け出来るとは思う。


ここからは観劇して、私が感じたことを少し書いておきます。

謝るって、結局誰かに許される為じゃなくて自分を許すための行為でしかなくて、でもそんなことは忘れがちで。
ただ、ハザカイキの中では、許されないだろうとわかっていても(思っていても)謝るシーンが度々出てくると感じた。
時代に、取り残されたり、取り残されないように必死になったり逆に時代の流れを否定してダサくなってみたり、正しくその時代に産まれ生きたり、また時代が移り代わったり、する。
その中で、狭間を自分で生き抜く全ての人が、ピッタリ自分のサイズで自分自身を許すために誰かに謝って生きている。
誰かのことは許せるときに時々許せばいいのだと思う。
生きにくい世の中で、なんとなく窮屈に感じながら、自分のことくらい許せる自分でいたい。
後で振り返ったときに自分で自分を許せなくなりそうなら、罪悪感に苛まれるなら、1度そこで立ち止まって6秒間息を止めて時間を数えて、止めた息と一緒に思いを吐いてみる。
それでもどうしても思いが溢れて仕方ないなら、まず顔をみて話せる誰かに話す。
それでも無理ならそのときは、顔の見えない誰かに話せばいい。
忘れがちだけど、SNSに支配されていると言っても過言ではない今の時代に、匿名性の担保はもうほとんどなくて、それでも声を上げたくなって、つい投げた言葉は誰かに突き刺さっている。
8×16cmくらいの小さな箱からベルトコンベア式に時限爆弾がインターネットの海に運ばれて、ほぼ無差別に誰かに届いて爆発する。
傷付いたり傷付けたりして、ボロボロになってみんな生きている。
負のエネルギーが連鎖して起こるパワーは、残念ながら好きが集まってできるパワーより大きくてバズりがち。
共感も得られるし承認欲求も満たされるから、どんどん人は攻撃的な爆弾を投下してしまう。
攻撃性もどんどん増していく。
まるで自分が発したと考えられないようなことまで、気がつけば発している。しかも大声で。
多分もうこの時代を変えるのは無理。
人は貪欲な生き物だから、配慮とか忖度とかして今より攻撃性の少ない爆弾にするなんてことは誰もしない。満足出来ない。
まずは貴方から変わってみれば良いなんて使い古しの言葉じゃ響かないし、最早、自分の声が大きすぎて殆どの声が響かない。
だから、私は勝手に、好きなことを選んで今仲良くしてくれている人を大切にして生きていく。
人生は有限だから、好きなことだけするのにも時間が足りないし。
みんな勝手にしたらいいと思う。
それで自分を許せるなら。

毎日はなまる。

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