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「如是我聞」と寄せ集めの経典たち

大乗仏典には必ず定型句として「如是我聞」(このように私、阿難は聞きました)から始まっている。意味としては、対告者を示す「仏告阿難」(仏は阿難に告げました)と同様なのであるが、この違いは一体なんなのだろうか。

「如是我聞」にこだわったことは何回かあります。まず大学1年のときには「如是我聞」と「仏告阿難」は何が違うんだと言い、周りの大人から失笑気味に「やべえやつ」と思われました。この時に答えを教えてもらっていたら、その4文字に含まれる重要性に気付いていなかったかもしれません。

第二に、大学院の演習系授業で天台系の書物を読んでいたときに、似たような疑問が提示されていたこと。そして第三が、原始仏教崇拝者によるスッタニパータ信仰と対峙したときです。

まずはじめに答えを申し上げておきますと、「如是我聞」の僅か4文字の意味は、同一の会座で、同一のテーマのことを述べているということが答えです。ですから、様々な言葉の寄せ集めの経典…例えば『大方等大集経』のような経典であれば、一つの経典内に複数の「如是我聞」がある場合があります。

しかし、多くの経典の場合、1つの話題に触れているので、「如是我聞」は最初の1回だけということになります。


御存じの通り、釈尊の言葉というのはごくわずかしか残されておらず、その思想を再現することは困難です。しかもそのごくわずかの資料さえ、部派仏教の時代の伝聞に基づいた寄せ集めです。

ですから研究方法論として、最も原初的な教えとして、各部派の共通的項目を検討したり、スッタニパータから、おそらくこれが原初体系であろうという部分を抜き出したりします。


ところが、それを重視するあまり、「悟りとはこういうものだ」という決めつけの中で、文章を恣意的に抜き出してしまうことがあります。

例えば、「釈尊が悟ったものは四諦である」だとか「十二支縁起である」だとか、そういった類のものです。研究の仮設定としては良いでしょう。

そこから進むと、「スッタニパータに述べられているここの部分はこういう意味である」、その根拠は「釈尊の悟りは縁起だからである」という関連付けがなされます。ここで深い考察のないまま、自分だけの最強仏教を形成する方が少なくない。

しかしよくよく考えると、果たしてここで述べられていることは、縁起と直接的に関係あるのだろうか、縁起を説いたときに述べられたものであろうかという問題にぶつかります。

対機説法というように、釈尊はその人にあわせた教えを説いてますから、様々なタイミングで、色んな教えを述べています。しかし、仏典の編纂過程においては、どういった人に対し、どのタイミングで述べられたのかわかりませんから、似たようなテーマを同一の章にもってくることとなります。ここが問題なのです。似たようなテーマだから、整合性があっているんだと盲信してしまうのです。でも、実際は対告者も違えば、違う話を説明していることもありえます。

このようなことから「如是我聞」の4文字は人類が築いた素晴らしい言葉であるといえます。わずか4文字で、1つの会座、1つの同一のテーマを述べているということを明らかにしてくれるのが「如是我聞」なのです。

私が、この「如是我聞」に疑問を持ってから、その理解まで5年。そして、原始経典崇拝者との対峙まで7年。こんな「くだらない問題、質問」は長い歴史の中で、大抵どこかの仏教者によって質問されています。

ですが、たまたま自分の思った疑問と、その資料に出会える機会というのは少ないので、これから仏教を学ぶ人の多くのために、あえて述べさせていただきました。

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