異世界のジョン·ドウ ~オールド・ハリー卿にかけて~ 第8話 血と魂の契約、そして悪魔と人の違い
数日前の夜
「ユウ、しっかりしなさい! 誰か、誰か彼を看て」
「大丈夫ですか。今、回復させます」
(無様だな。悪魔を出し抜こうとした命知らずは、みんなこうなる運命なんだよ。悪魔を騙した罪は、テメーの命で償いな)
悪魔は息も絶え絶えな石動と彼を助けようと必死な少女二人を見下ろし、心の中で呟いた。
「死に場所も死に方も僕が決めることだ。それまでは契約を履行(りこう)してもらう」
「鴻毛より軽い悪魔の言葉なんて、誰が信じるものか」
石動が吐き捨てた台詞の数々を頭の中で反芻(はんすう)させ、悪魔は下卑た笑みを浮かべる。
崇高な理想も、青臭い正義感も―――死んでしまえば全て無に帰す。
「下等生物の人間如きが偉そうに、オレサマに逆らいやがって。悪魔が現れた場所こそ、人の死に場所さ。貴様が守ろうとした、フィリウス・ディネ王国の儚く弱々しい命。ここで一掃してやるよ。人間共の堕ちた魂を滅却せん、インフェ……」
勝ちを確信したハリーが呪文を詠唱した瞬間
「ググ、どうなって……やがる……!」
突然ハリーの体に激痛が走り、次の瞬間には悪魔が地べたで悶えていた。
夜の静寂を切り裂く悪魔の絶叫が周囲に響くと、何事かと辺りに人が集まってくる。
まずい、逃げなければ。
ユウの落ちた方を確認し、ナオミとふと目が合うと、暗闇の中で翡翠のように鮮やかに光る瞳が彼を睨みつけた。
どこに隠れようが逃しはしない。
万が一彼が亡くなるようなことになれば、全力で仇を討ってやる。
そんな言葉が聞こえてきそうな、執念と気迫に溢れた眼気圧されて、ハリーは無心で匍匐前進(ほふくぜんしん)を繰り返す。
ハリーが通った道はナメクジが這った後のぬめりのように、おびただしい血の跡が石畳を濡らしていた。
「……ハァ……ハァ…… 人間に……気づかれねェうちに……早くこの場を……」
頼れるものは何もない。
悲鳴を上げる体に鞭を打ち、むりやり動く度に激痛が走る。
骨が軋み、口許からは蛇口を捻ったかの如く血が垂れ流される。
(……奴を落とした直後に墜落した。なんでだ、クソが……)
状況を整理すると、青年の顔が思い浮かぶ。
奴の息の音を止めるまで、不利な契約から解放されることはない。
奴さえ始末すれば、自由を謳歌できる。
そう考え、あの男を亡き者にした矢先に、こんな不運に見舞われるなど。
「……グ、意味がわからねぇ。こんな……最後に……」
悪魔が恨み言をこぼし、瞳を閉じると
「ククッ、また人間に騙されたのか。魔界の落ちこぼれめ。貴様のような悪魔の面汚しは、私の視界から消えろ」
「何の取り柄もない悪魔、オールド・ハリー。脆弱な人間風情に負けるほど、知恵が回らんとはなァ。一生人の奴隷がお似合いだぞ。ケケッ!」
自分を見下し蔑む声が、ハリーの脳内に響く。
死の前に見る走馬灯は、人を欺き、陥れてきた報いが死の間際に牙を剥く。
(オレサマの受けた屈辱、忘れもしねェ! この恨み、晴らさずに死ねるか! 殺す殺すコロス……)
負の感情に支配された悪魔という存在にとって、絶望と憎悪、殺意は生きる糧。
激しい感情は心で混じり合い、悪魔を奮起させた。
「クソがぁ、動け! 動けよ!」
叫びながら、力任せに体を動かした。
だが、どうにもならない。
腕が持ち上がらず、立ち上がることすらままならない。
ただ芋虫の如く、地べたを這うのが限界だ。
(ここまでなのか、チクショウ!)
悪魔が諦めかけた、その時だった。
瞬く間に傷口が閉じていくではないか。
「どこかの誰かに治癒された? どうなってやがる」
何から何まで理解ができず、ハリーは狼狽した。
本来ならば喜ばしいはずだが契約を遵守し、厳守させる悪魔にとって、契約以外で幸福が舞い降りるのは気味が悪いのである。
(なんだってんだ、代償はねェだろうな……)
常に人を騙す立場に身を置いた罰なのか。
盗人には他人が全員盗人に見えるように、悪魔には幸福をも疑ってかかる癖がついていた。
念のため体を伸ばしたり、捻ったりしてみても、特に痛みはない。
理由は定かでないが完治したようだ。
しかしハリーは治ったことよりも、何者が自分を治したのかに気を揉む。
「チッ、原因を突き止めねぇと気が済まねぇ。邪魔だ、どけッ!」
半狂乱になった悪魔は王国の大通りで、血眼になりながら探し始めた。
ハリーに怯えた民衆は、蜘蛛の子を散らすように逃げ惑う。
そんな彼にも物怖じせず、そばかすの少女は傷だらけの大男を宿屋へと誘った。
「お兄さん、ずいぶん焦ってるね? 落とし物? 夜中に出歩いてるけど、泊まる宿はあるの?」
「ああ?! なんだ、テメー。馴れ馴れしく話かけてくんじゃねェ!」
凄んで、彼は少女に八つ当たる。
これで、この女も自分の元から離れるだろう。
だが
「お兄さん、悩みでもあるの? 暇ができたら話し相手になってあげようか。私、聞き上手って言われるんだ〜」
向けられた罵倒を華麗に聞き流し、少女はなおも食い下がる。
「……うぜぇ。話しかけてくるなと言っただろ。消えろ」
「硬派だね〜。お金の心配はしないでいいよ。馬小屋に泊まるくらいで、金銭をせびるつもりないし」
少女は人懐っこく、ハリーの周りにまとわりつく。
自分のペースを崩さず、一方的に言いたいことをまくしたてる彼女に付き合っていると調子が狂った。
(自分中心なルシファー様を思い出すぜ。図々しさは悪魔並みだな、こいつ)
どうすれば、この場を切り抜けられるのか。
悪魔が考えるも、答えはでなかった。
しかし納得させないと、延々付きまとわれるのは明白。
「ここ以外にもいろいろ見て回りてェんだ。泊まっても泊まらないでも後に寄る。だからよ、いい加減離れてくれや」
「う〜ん。なら、しょうがない。待ってま〜す」
間の抜けた返事をして、彼女は立ち去るハリーに手を振って見送る。
「なんだ、意味わかんねぇ。人ってのは悪魔以上におかしな生き物だぜ」
人という生き物の珍妙さは、長年嫌と言うほど見てきた。
神が作り上げたはずなのに矛盾の塊のような生き物、人間。
中でもユウという男は、とびきりの変人。
せっかく悪魔を呼び出したのに、願いを叶えてほしいとすら言わないではないか。
(あのバカさえ消せれば、晴れて自由の身だ)
ハリーは手当り次第に、冒険者らの治癒、蘇生を生業とする教会で青年を探し回った。
治癒にせよ、死亡したにせよ、担ぎ込まれる場所は教会だからだ。
しかし彼の姿は、どこにもない。
(どうなってやがる、クソ!)
そうして夜が更けて悪魔は途方に暮れながらも、王国をくまなく探した。
それから数日が流れ、ふと大通りにある宿屋に視線を向けると、ハリーは我が目を疑った。
「久々の夜風だ。気持ちいいな」
「あ、あいつは……」
虚ろな瞳の陰気そうな男が窓を開けて風に当たり、気持ちよさそうに伸びている。
顔立ちは整ってはいるが、他者を寄せつけない陰鬱な雰囲気を纏う青年。
忌々しい男を見間違えるはずもない。
(奴だ! 奴がオレサマの復活に一枚噛んでいる!)
そう直感した悪魔は、石動の元へと飛んでいった。
開けっ放しの窓から様子を伺うと、ユウは寝台に座り、考え事をしているようだ。
怖がりな少女は病み上がりの彼を置いて、冒険をこなしているのか、部屋には石動祐一人。
(あのお嬢ちゃんの邪魔は入らねェ。奴を消す、またとない好機!)
悪魔は心の中でほくそ笑む。
すると彼はただならぬ邪気を察知したのか、ハリーの方を向いた。
視線があうと青年は一瞬狐につままれたような顔をするも、すぐに彼を睨みつけた。
ハリーも覚悟を決め、部屋の中に侵入する。
「よう、貴様と会うのも久々な気がするぜ。率直に聞くぜ。オレサマに何をした」
「こっちが聞きたいくらいだ。何故お前が、また僕の前に」
望まぬ邂逅(かいこう)に、二人は不満をぶつけあう。
深く刻まれた皺に、筆舌に尽くし難い怒りに滲ませている。
数奇な運命の巡り合わせ。
何かの縁が再び彼らを引き合わせたのだ。
「見た所、どうやら完治したみてェだな。あれほどの大怪我を」
「こっちの方こそ、お前の傷が何故治っているのか聞きたい」
この男の口振りからして、傷を治したとは考えづらい。
となれば誰かが気まぐれで……?
(いや、それもねぇな。何の対価も要求せずに助けるなんてありえねぇ)
事実を積み重ねて悪魔は推理する。
しかし全ての可能性を考慮しても、自らを納得させる理屈はでてこない。
しばらく頭をフル回転させ理由を探ると、悪魔と術者を繋ぐ『血と魂の契約』を唐突に思い出す。
(……噂で聞いたことがあるが、肉体の感覚共有。奴が治療されたことで、オレサマの傷も癒えた。そう考えりゃ説明がつく)
「どうした。また僕を殺す企みでも考えているのか」
刺々しい口調で、石動は二の句を継いだ。
事実を伝えても得はないが
「どうやら貴様とオレサマは、同一の存在になっちまったらしい。互いの肉体の快楽、痛みを共有する体にな」
悪魔は事実を語る。
殺されかけた青年は、最初こそ悪魔の話など聞き入れなかった。
しかし、こうして悪魔が復活したという奇跡の前に、彼も現実を受け入れるしかない。
ハリーとの会話で現状を悟ったユウは
「自分を殺そうとした悪魔と一緒になっただなんて。不愉快極まりないな」
「ケッ、オレサマの台詞だぜ。貴様はオレサマの主にふさわしくねぇ」
互いに罵詈雑言を浴びせ、憎み合う。
石動は殺されかけ、悪魔はただ働きをさせられた。
両者、相応に怒るだけの理由があった。
だが契約があるため、力関係は青年の方が上。
これ以上下手に出れば、死ぬまで利用され続けて、一生を終える。
悪魔は石動にも臆さず、言葉を紡ぐ。
「とにかく俺の命令には服従してもらう。悪魔に好き勝手されたら、たまったものじゃない」
「当たり前だろう。悪魔といえど術者には従……」
形だけの服従を示そうとすると、途端に口が開かなくなる。
そして契約に逆らう人間と悪魔に待ち受ける、契約の強制―――魔界法の絶対の掟が彼に刃を向ける。
(う、嘘がつけん! 奴がした命令がまだ有効らしい。でないと説明がつかねぇ……)
歯を食いしばり、魔界の掟に抗おうとする。
だが彼の抵抗も虚しく、呼吸困難に陥ると目から涙が浮かぶ。
叫ぼうにも、言葉1つ発することもできないのでは、どうしようもない。
助けを呼ぶのすら不可能な状況に、ハリーはただただ心の中で祈る他なかった。
「どうした。また僕を殺す算段でも立てているのか」
苦しみのたうち回るハリーにも、目の前の男は平然としていた。
契約を破ろうとした悪魔への罰は、彼には効力をもたらさないようだ。
(頼む、もう嘘はつかねぇ……だから勘弁してくれ……)
今まで彼は、全てを自らの力で切り開いてきた。
悪魔から見下されても自らの使命を全うし、魂蒐集のノルマをこなしてきたのは、何よりの誇りだ。
そんな悪魔が柄にもなく天に願い、自らの罪を悔いると、痛みは嘘のように消えていく。
神などいない。
いたとしても不条理な試練を課すだけの、甚だ不快な存在だ。
いつからか誓ったはずの信念をも曲げ、ハリーは自分以外の何かに縋った。
「……ハァハァ。た、助かったぜ」
窒息しかけた悪魔が乱れた呼吸を整えるも、石動は相も変らぬ冷徹な視線を投げかけ続ける。
たった一度の過ちでも、殺そうとした悪魔を警戒するのは無理からぬことだ。
何をしても訝しげに眉をひそめる彼に、だんだん腹が立ち
「何の演技だ。オールド·ハリー」
「うるせェ、いちいちムカつくんだよ! テメーは!」
募る苛立ちをぶちまけると、ユウの視線はいつも以上に険しくなる。
ことあるごとに殺しにかかってきた悪魔が、今日はやけに大人しいこと自体、彼にとっては不思議だった。
「そうだ、それでいい。お前の本性は悪魔だ。お行儀よくしても、何か裏があるんだろう。他の人間が信頼したとしても僕は疑う」
「ヘッ、品行方正な人間様は言うことが違うねェ。致命傷を負えば、その時に嫌でもわかるだろ。オレサマの発言が正しかったってよ。なんなら今から試してみるかァ〜?」
悪魔が嫌う、人の善意や純粋無垢な心。
それを否定するかのように、ハリーは石動を煽る。
しかし石動は悪魔の一言に得心したのか、うんうん頷く。
「確かに試せば、すぐにお前の言葉の真相がわかるな。悪魔の言葉が正しいか確かめてみるか。さてと……」
石動は窓に近寄るのを見て、悪魔は口を開きっぱなしにした。
ハリーの言葉が嘘か誠か。
ただそれだけの為に、自分の命を投げ捨てようとしている。
頭のネジが外れた、ぶっとんだ狂人。
この男はそうとしか形容しようがない。
「頭がイカレてんのか。そんなことしたら、お前までくたばるだろが。そこまでオレサマが憎いか? 自分の命を投げ捨てるほどに」
命惜しさというよりも、率直な感情が言葉になったというのが正しかった。
―――否、死を躊躇わない目の前の男への恐怖が、ハリーにそう口走らせた。
「お前が僕や身近な人に危害を及ぼすのなら、僕は身を投げる。それだけだ」
「……異常者が。悪魔を呼び出す人間ってのは、大抵どっか壊れてるもんだが、テメーほどのイカレ野郎は初めてだ」
「あいにく元居た世界で、そんな戯言は聞き慣れたんだ。社会の異端者と天から追放された異常者。そこまで違いはないと思うよ」
そういうと窓の方を見遣り、石動は窓に手をかける。
この男、また落下しようとしている。
―――しかも今度は自らの意思で。
「おいバカ、やめろっ!」
それを見たハリーは、必死に呼びかけた。
身を乗り出した石動を力づくで取り押さえ、石動の顔を覗きこんだ刹那、悪魔は後ずさりする。
目を見開き、思い通りに動いた悪魔を見てほくそ笑む―――青年の表情はまさに悪魔じみていた。
常軌を逸した行動に、ハリーの背筋は冷水をかけられたように冷えていく。
(自分の命すら、交渉材料の1つとしか捉えてないのか。あ、悪魔だ! この男……!)
「悪魔といえど、自分の命は惜しいらしいな。よかったよ、それがわかって」
「……グ、グググッ! クソがぁ! 悪魔であるオレサマをコケにしやがって! 元に戻った暁には、貴様を八つ裂きにしてやるからなぁ! 覚悟しておけ!」
激昂するハリーにも、石動は動じない。
それどころか子供を宥めて落ち着かせるかの如く
「どちらか一方だけが、不利益を被る契約は理不尽だ。これでようやく対等な契約が結べたってことさ。そうだろ、ハリー。君が死んだら僕も地獄に墜ちてやる。一人では死なせない」
至って冷静な口調で対応する。
事務的で氷のように冷たい対応の石動につられ、悪魔の心も自然と穏やかになっていく。
思えば初めて出会った時は、ひどく怯えていた。
にも関わらず、人の命が関わると血相を変えて別人のようになる。
こういう人間には、力による脅しは通用しない。
心にある信念が根底から覆りでもしない限り、ずっと平行線のままだ。
「……わかったよ。オレサマは貴様との契約を全うする。だが、ただ1つ忠告しておくぞ」
「なんだ、いきなり」
「オレサマは魂を蒐集しないと、上手く力が引き出せねェんだよ。あんまりお行儀のいい生き方をオレサマに強制すると、冒険とやらに支障がでるぞ?」
疑うかのように睨む石動に、悪魔は苦い顔をした。
嘘でも真実でも疑われては、どうしようもない。
しかし嘘ばかりつく狼少年は最後に信用されず、見捨てられるように、日頃の行いが悪かったのだ。
悪魔は信用を得られていないのを承知で、話を続けた。
「噓じゃねぇぞ。テメーとの契約で真実を口走らないと、制裁を受ける体質になっちまった。魔界法はどんな悪魔も厳守しなけりゃなんねェのさ」
「……俺が了承すれば、人の魂を蒐集してもいい。俺が死のうが他人にとってどうでもいいように、俺にとっても赤の他人の魂なんて知ったことじゃない」
冷淡に吐き捨てる彼は、人の命にも魂にも、そして自分自身にも無関心なように映る。
無感動、無気力。
人によっては底知れぬ悪意を抱えた男と見えるだろう。
見る者の心象によっては姿を変える、万華鏡のような不思議な男、石動。
今のハリーには彼が恐ろしく見えるが、この男の他の面を知っていけば、自ずと真実の姿が見えてくるはずだ。
人間と冒険をするのは釈然としないが、全ては己の自由のため。
「なら構わねェ。魂蒐集さえ容認するなら、今まで通りお前の冒険に協力してやるよ。ただ感覚の共有を治す方法を探すがな。止めるんじゃねェぞ」
「別についてこなくてもいいよ。命の保障はできないけどね」
悪魔から目を逸らし、祐が呟くと
「嫌味な言い回しだぜ。ついていかなきゃ、テメーらが野垂れ死ぬ可能性が上がる。つまり選択肢なんてねェってことじゃねぇか」
男の身に危険が起きれば、待つのは死。
拒否権など、あってないようなものだ。
(……主導権を握られている。下等生物の人間如きに!)
奥歯を噛み締めて悔しがるハリーが見据える。
悪魔が尊ぶ自由は誰かに服従したり、隷属しては成り立たない。
人間に生殺与奪の手綱を握られた今の状況は、悪魔が望む真の自由とは程遠いのだ。
「覚えていろ。悪魔を縛りつけると思うなよ。貴様を亡き者にして、オレサマは必ずや真の自由を取り返す!」
「郷に入っては郷に従えという言葉が、僕の暮らす国にはある。冒険者として共に暮らすなら、悪魔の法より人の法を守ってもらうぞ」
そう威圧する石動は有無を言わさず、悪魔に告げた。
さきほどの一連のやりとりで、石動の狂気を垣間見たハリーは
(こいつは狂ってる、何をしでかすかわからん)
言葉に詰まって、何も言い返せなかった。
「とにかく普通の人間の振りをしてくれ。悪目立ちされると、僕たちは困るんだ。自分の命にも関わることだし、人間如きと共倒れなんて御免だろう?」
単に利害の一致で協力するだけ。
そう自らに言い聞かせて、ハリーは自分を鼓舞した。
「互いに協力しよう、それが互いの利益になる」
「ち、わかったよ」
石動に諭され、悪魔は腹を決める。
どうせ逃げ場などない。
自分の与(あずか)りしらないところで死ぬなど、まっぴらごめんだ。
(それにしても狂った男が説く正義と法、ねェ。面白ェ……)
単純な疑問と興味を抱いた悪魔は、青年に問う。
「聞きてぇことがある。法だの倫理だの、馬鹿らしいと思わねぇか。そんなもん守らされて得するのは、貴族みてぇな権力者サマだけだろ」
一呼吸置いて、悪魔は続ける。
「貴族みてェな親から継いだ地位や金で偉そうにしてる特権階級は、全員ブチ殺したくなるだろ。そいつらほど自分は頑張ったと威張り散らすがよ」
「……」
「そんな弱肉強食を謳う金持ちが殺されようが、淘汰の結果さ。やり返した奴らは何も悪くねェ。奪い、犯し、食らう。それが人と悪魔の本質なんだからよ。法を逸脱した奴らこそ正しいのさ。悪魔の倫理ほど人の世に必要なものはねェ」
天から墜ちた悪魔は神々と貴族、庶民と悪魔を重ねているのだろう。
既得権益を否定し、革命を賛美した。
不道徳に聞こえるが、無能な為政者(いせいしゃ)が殺されるのも、人類の歴史の1ページに脈々と刻まれている。
石動には思う所があったのだろう。
暫くして石動は、ハリーに自らの考えを話した。
「確かに金持ちが作ったルールは、金持ちだけが得をする。貧者がルールに従っても利用され、使いものにならなくなれば捨てられるだけ。自分を犠牲にして、社会や企業に尽くす価値なんてないよ」
「……」
「つまりだ。君の言うことは概(おおむ)ね正しいよ。ハリー」
「あ?」
殺人すらも推奨する発言を肯定され、間の抜けた返事をしてしまう。
散々悪魔である自分を否定して、綺麗事を吐いてきた。
そんな目の前の男に言われ、ハリーは苦虫を噛み潰したような表情をし、ユウに詰め寄る。
「悪魔に理解を示すなら、何故オレサマを止める? お前自身が傷つかなきゃ、他人なんざどうだっていいんだろ?」
「……なんでだろうね。よくわからないな。強いて言うなら、それが悪魔と人の違いなんだろうね」
「つくづくわけのわからん男だ。己の欲望と本能に従えば、オレサマと心を通わせることもできたろうに。残念だぜ。ククク……」
「……」
これ以上言葉を交わしても意味はないと、悟ったのだろう。
青年は口を閉じ、以降ハリーと喋ろうとはしなかった。
「オレサマは近くの宿屋の馬小屋で寝泊まりする。冒険の際は声をかけろ」
そう言い残すと、悪魔はそばかすの少女がいた宿屋に立ち寄った。
少女は主人を見つけた飼い犬の如く駆け寄ると、すぐさまハリーを枯草と家畜の糞尿の匂い漂う、馬小屋へと案内した。
巨体の馬が寝る場所だけあって、人間が一夜を過ごすのにも申し分ない広さだ。
(この臭いに慣れれば、だけどな)
悪魔は心の中で文句を漏らすも、口にはしなかった。
「あなたが無事でよかった~。最近は近所で男の人が負傷したり、治安が悪いから心配だったの。寒いだろうし、馬小屋の藁大増量中だよ~」
「おう、ありがとよ。探してた奴は見つかった」
「ふ〜ん。せっかく見つかったのに、暗い顔してるけど?」
悪魔が黙り込んだ後も、怪訝そうな少女は一方的に、自分や今日起こったことなどを喋っていた。
少女がいなくなった後、藁の敷かれた小屋に寝転ぶと、彼は人差し指に火を灯す。
地獄の業火を眺めて思い出される
『それが悪魔と人の違いなんだろうね』
石動の何気ない一言が、妙にハリーの頭にこびりついて離れない。
人の言葉を介する悪魔にも、青年の言葉の真意は読み取れずにいた。
(知った風な口を聞きやがって。人間の貴様に、オレサマを理解できるはずがないだろう)
住む場所が違えば、肌の色も信仰する宗教も、価値観もまったく異なる。
ましてや人と悪魔が、分かり合えるはずもない。
石動への反感を強めつつ、ハリーの孤独の夜は過ぎていくのだった。
拙作を後書きまで読んでいただき、ありがとうございます。 質の向上のため、以下の点についてご意見をいただけると幸いです。
好きなキャラクター(複数可)とその理由
好きだった展開やエピソード (例:仲の悪かった味方が戦闘の中で理解し合う、敵との和解など)
好きなキャラ同士の関係性 (例:穏やかな青年と短気な悪魔の凸凹コンビ、頼りない主人公としっかりしたヒロインなど)
好きな文章表現
また、誤字脱字の指摘や気に入らないキャラクター、展開についてのご意見もお聞かせください。
ただしネットの画面越しに人間がいることを自覚し、発言した自分自身の品位を下げない、節度ある言葉遣いを心掛けてください。
作者にも感情がありますので、明らかに小馬鹿にしたような発言に関しては無視させていただきます。
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