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人生について その1「子供の頃」



はじめに

これから私が人生を通して感じたことや見出したことについて連載します。
今回は幼少期のお話を書きます。
幼少期、振り返ると私はとにかく他人が羨ましかった。
私以外の人がキラキラしているような感覚
物おじすることなく元気に行動する同年代の子供達に
引け目を感じながら内に籠る性格だった。
家では元気だが外に出ると大人しかったので内弁慶と言われていた。

なぜなのか

その原因はわからない。
物心がついた頃からそうだから親からの遺伝なのかもしれない。
私には兄が1人いる。
兄も多少大人しい性格ではあったが、私ほど内気な性格ではなかった。
だから兄に対してもコンプレックスのような感情を持っていた。
キラキラした他人に引け目を感じながら生きるから
そういう人たちに苦手意識を持っていた。
だから周囲に馴染めなかった。

行きたくない

幼稚園に行きたくないと泣き続ける朝。
母は必ず泣き叫ぶ私を幼稚園に連れて行った。
そして幼稚園に馴染めずにいじめられる。
劣等感は増すばかりだった。

幼稚園に行けば
少しからかわれて泣く
周りから笑われて泣く
先生に怒られて泣く
勝手にこけて泣く

すぐに泣くどんくさい子だったのだ。
しっかりいじめられっ子だった。

生き辛い

4歳にして生き辛さを感じ始める
ひょっとしたら人より死を近くに感じる人生なのかもしれない。
そんな私はいつもいつも何かを考えていた。
子供の頃から今も止まらない思考に悩む日々だ。
夜中に急に目が覚めて不安になる子供だった。
もちろん今も基本的に眠りは浅い。
現代医学にかかれば私は何かの障害を持っているのかもしれない。

自分の脳内を現すためなのか私は幼少期から絵をたくさん描いた。
絵を描くときだけは夢中でいられる。
その時間はとにかく幸せだった。

絵が上手くなる

好きこそ物の上手なれ
だから私は絵だけはうまかった。
まるで絵を描くために生まれたかのように絵を描いていた。
チラシの裏、ノート、道路、砂場、とにかく描いていた。
小学生になっても家で1人で絵を描く時間が多かった。
私は鍵っ子で内気な性格から友達は少なめだった。
近所の子たちとは毎日のように遊んでいたが同級生とは頻繁に遊ばなかった。
近所の子たちと遊ぶのもそんなに好きではなかったが
同級生に感じるほどの劣等感はなかったのかもしれない。

自由な時間

そしてまた絵を描く。
夕方、母がパートから帰ってくる前の放課後の時間は私のお絵描きタイムだった。
兄と比較しても私は本当に絵ばかり描いていた。
ミニカーを手にして一通り転がせて遊んだら、
それを模写してしまうくらい絵が好きだったのだ。

そしてある頃から私の絵が大人たちに褒められるようになった。
しかし私は全然嬉しくなかった。
褒められるために描いた絵ではないからだ。
絵が好きで描いていただけなのだ。
さらに言うと他人に馴染めないから絵を描くしかなかったのだ。

好きだから、ただそれだけ

絵は描けば描くほど上手くなる。
子供のレベルだと才能などほとんど関係ない。
好きこそ物の上手なれ、本当にこれだけなのだ。
子供の頃に私は学んだ
”好きなら伸びる”
私が絵を描き続けたことでこの感覚を得たのだった。
私は勉強が嫌いで伸びなかった。
コツコツと絵を描くけどコツコツと勉強はできなかった。
勉強のコツが掴めなかった。

そして葛藤が生まれる

みんなができる勉強が満足にできない。
私だけ勉強ができないと自分で自分を責める。
絵ばかり描いているから頭が悪いと言われる。
いや、言われた気がしたのかもしれない。
もはや現実なのか思い込みなのかもわからない状態なのだ。
なにしろ私の思考は止まらないのだ。
それでも絵は嫌いになれない。
だからさらに悩んでしまう。
そして脳内に誕生する「絵ばかり描いている悪い自分」
大人たちから絵を褒められても劣等感に変わってしまう。
勉強ができないというコンプレックスを抱えてしまうが勉強をやる気になれない。
やってみても目的が見出せないからすぐに投げてしまうのだった。

家庭環境

今思えば、親が私に向き合っていれば私の方向性は変わったかもしれない。
私の家は一般サラリーマンの家庭だった。
父は仕事もするが遊びも人一倍で1週間に1度会えば良い方だった。
父が遊びで散財するから母は家計を支えるためにパートに出ていた。
私は昭和の鍵っ子だった。
だから幼少期に直接的な親の愛はあまり受けずに育ってしまった。
そのことについて全く恨んではいない。
むしろ育ててもらった事に感謝している。

しかしあの時期に親が私に向き合う時間があれば
ひょっとしたら勉強をやる気になったのかもしれない。
なぜなら私は勉強ができないと怒られることはあっても
なぜ勉強が必要なのかは誰にも聞かされずに過ごしていたからだ。
劣等感の塊だから怒られることは当たり前のことだったのだ。

私の絵は子供の絵で誰も注視していなからダメ出しなどされもしなかった。
だから絵が大好きだった。

振り返ると

私は誰かに導いて欲しかった。
親に時間がないなら他に誰かを探せたらよかったが
子供の私にはそれは無理だった。
近所のお兄ちゃんとか身近な目標すら探せなかった。
絵ばかり描いている気難しい子だったから
同年代から好かれてはいなかった。
人間の基礎を作る情操教育は非常に大切なのだ。
それが欠落してしまった私の人生。
次回は少年から青年になるまでのお話を通して人生を語ります。

この後社会人になった私の体験談を「我楽多物語」で連載しています。
よろしければお読みください。

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