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026小さなメンター

少子化である。何も今始まったばかりじゃなく昔から積み上がった(下がった?)結果である。何をしていたんだろうと思う。特に少子化の現象については詳しい人に任せるとして、たぶんぼくが現在若者だったとしたらその少子化に加担していたことと思う。

ぼくが20 代の頃、結婚はおろか子どもができて育てるというイメージがまったくわかなかった。それにも増して自分でやりたいこと(やれてないこと)が山積みしていて、子どもが居る状態ではまったく立ちいかないだろうと考えていた。
でもできるもんだよね。とは今思う。

結果ぼくには3人の子どもが居ることになったんだが、やはり持ってみると大変だが持たないよりもその充実度がまるで違うことがわかった。
では若い頃は子どもなんて、と思っていた自分が今やなぜか3 人も居ることになったのか。たぶんイメージだと思う、具体的にはモデルかな?

20代の頃仕事で気の合った人が現れた。デザイナー(主にインテリアだったが)で歳は4〜5つ上だった。知り合った頃、仕事はもちろん、自宅も近かったので毎週のように飲み歩き、一緒に花見やキャンプ、彼の実家にさえ行ったり、仕事を超えた存在になった。

彼には一家があった。仕事とともにその家庭も見ていた。妻と子ども2 人。仕事はもちろん、決して家庭を犠牲にすることなくコミュニケーションも欠かさないいい距離感だった。
「こういうことか!?家って」と思った。

よく人生の中でメンターを探せとは言うがなかなかそんな理想的な人物に出会う確率は低いだろうが、シーン別で考えてみれば、ぼくにとって「家」に対するメンターとの出会いだったと思う。

子ども(家)を持つことに対して自分でそんなことができるのか、という多少恐怖感もあった。そこへ身近にいいモデルケースを見てその縛りから解き放たれたんだろうと今思う。し、結果良かったなって思っている、ほんとうに感謝。

あこがれるって言葉で先人のモデルに似せようと人生を歩んでみたりするものだけど、やはり一足飛びにはなかなか理想通りには行かないと思う。そういった意味でも身近に小さくともリアルな状態を見るとそのイメージが喚起されるように思う。大きなイメージより小さなメンターをいっぱい持つと人生のオプションが増えるよね、と思う。

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