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025あなたは何もの?

山下達郎さんのアルバム「アルチザン」はその当時からミュージシャンをアーティストと呼ぶことに対して、自分はアーティストなんかじゃなく音を作る職人だという意味を込めてつけたアルバム名だと語っていた。ちょいわかるな〜と、そのラジオを聴いていた。

そして今、何かと「クリエイター」ってことばが乱立しているな〜と感じる。もう何でもかんでも語尾に「〇〇クリエイター」をつける。たまに、それにつける!?的な何をクリエイトしてんだかわからないようなネームングさえ散見される。どうなのかね?

じゃーおまえは何ものだ?と言われると、ぼくは名刺には肩書きは何もつけていない。自己紹介のときは一応「グラフィックデザイナーの〜」とは名乗っていますが、未だにその言葉ですら違和感がある、なんか恥ずかしい。できれば何の肩書きもない存在でいたいと思って今の働き方になっているとも言える。

かつてイラストレーションの雑誌内コンペに作品を送ったことがあった。忘れた頃に入選の通知が来た。雑誌掲載にあたって写真を送れってのとプロフィールをまとめろと。それを送ったら編集部よりすぐ連絡が来た「肩書き(職業)は何ですか?」と。ほぼ無職のような状態だったことと、自分のこれからの身の振り方に悩んでいた頃でもあったので「なくて結構です」と伝えた。
ところが相手はしつこく求めてくるのだった。結局説得して空白にしてもらったが、相手は何をこだわってたんだろうって今でも思う。

という訳でぼくは肩書きについてはあまり意識せず、あまり語らずといったスタンスで過ごしている。カッコつけて言えば自分は自分でいいかな、的な感じで。

職業名を新しく生み出すことで新しい何かが見えてくる可能性はあるとは思う。ただし理解するまで時間がかかることも事実なんだよね。職務を伝えようとしてるのか、煙に巻こうとしてるのかわからなくなる時がある。一方、役所の名刺もらうともうすごい漢字の羅列だらけ(とくに推進みたいな言葉が多い)でいったい役所内のどこに居るのかわからない(なくしてる?)肩書きもある。

特に嫌なのが肩書きつけるとその敬称で呼ばれることなんだよね。そういうのが好きな人も一定数いるから肩書主義がなくならないんだろう。社長!社長!!先生!!お願いします!……あ〜やだやだ。

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