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020ムリヤリカンドー

「無理やりにでも感動しろ」
高校生の時に言われたことばでした。ついちょっと前に思い出し、ぼくからやはり10代の若者にアドヴァイス送ったことばでもありました。
偶然にもこのことばを聞かされたことのある同世代の人がいて、やはり同じような時代に同じようなシチュエーションで聞かされたこともわかったので、ちょっとそのことについて。

よく「やらされ仕事」って誰にでもあると思う。やりたくないし、めんどくさいし、できることならもっと面白いことをしたいと思う。けど、そんなのってただ待ってたって面白いことなんて決して来ない。

そんな「やらされ仕事」って無難に、テキトーにこなして(流して?)しまう。力も入ってないのでこのくらいかなって手加減して終わらせちゃう。あるいは流しちゃうのは、それなりのできる力があってこそだと思うので、若い人にアドヴァイスしたけど、意外にも歳とった、慣れた人に対して有効だね、って今になって思う。

そうやって気持ちの入らないことを繰り返してると惰性でただ時が流れていくだけになってしまう。じゃーどうするか?
そんな中、コトに対して(無理にでも)感動することを試みてみると見え方が変わる。

自分の心が動かなきゃ人の心も動かすことなんてできない。無理にでも感動して、そこを糸口にコトに対して行くと意外にも「やらされ仕事」に熱が入ってくる。そのお題に対してちょっとした発見や感じなど、もしくは自分で驚いてみたり、派生した情報を得たり、ほんの少しでもいいと思う。それを継続して行くとつまらないことがだんだん減ってくる。

慣れってこわいもので、そこでいかに新鮮な気持ちで対峙していけるか。そんな時に無理やりにでも感動することで気持ちの切り替えができたり、新しい局面がひらけてくる。

ぼくは若い頃言われたけど、今この歳になって必要なことばだったのかな。アドヴァイス送った若者もそれなりの歳になった時に思い出してもらえるだろうか…そう願う。

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