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016予定とは…うまくいかない

電車乗ってて「1分遅れて申し訳ありません」みたいなアナウンス聞かされると、どうなってんだよ〜って思う。たぶんいろんなアプリ?で時間キッチリで動いている人のためにあやまっているんだろうと思う。

今や何かやる前にある程度の道筋を描いてくれる様々なしかけによって世の中がキチキチと、ちょっとしたズレさえ許してはくれない雰囲気になっちゃったんだな。困ったもんだ。
こーやったら、こーなって、そこでこうして、んでこーなる……みたいに。実際にはそんなうまく行かないと思うけどね。アクシデントはつきものだ。

もちろんアクシデントはあまり起こらない方がいいケースは多いけど、全く排除してしまうと堅苦しいし、イザ起こった時の対処のしかたで自分のいい体験にもなる(時もあるか?)。
逆にアクシデントを自分のものにしている人たちがその体験で本を書いたり、また発見・発明やデザイン・アートの素となったり、アクシデント自体がドキュメンタリーとしておもしろいいものになると思うんだよね。

たぶん「失敗」に対しても同じことが言えるような気がして、綿密な下調べやサンプル集めた結果できたものが中央値的なものになっちゃう。失敗しない代わりに大勝ちもしない。
もちろん調査すること自体は重要なことの一つだと思うけど、先にこれをやりすぎちゃうとググッとゴールが近づくような気になって、安心しちゃうんじゃないのかな?ごく近い所に近道使って行っただけ、みたいに思う。
ほんとうに欲しいものは見たこともない、聞いたこともないものを求めてるんだけど、自分でしっかりしたレールを敷いちゃってその上をコロコロと転がるだけ……。平均点は上がるかも知れないけどなんかさみしい気になる。

そもそも「カン」が悪くならないのかな?働かせなきゃ!

ある程度自分でアクシデントが起きるようにしないと行き詰まちゃうように思う。昔ある人に「偶然を必然にしなきゃ!」って言われた。要するに自発的に(矛盾してますが)アクシデントを求めて行って、それを自分の材料にするってことなのかな。
つまらないことだけど、行きと同じ道は帰りたくないし、行ったことのない道に行ってみたいし、妙な寄り道したくなる。そんな些細なことでも小さなアクシデントって毎日起こってる気がするんだよね。
電車の1 分を気にするのと同じ小さなことだけど……。

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