過去からの手紙(#シロクマ文芸部)初参加
今日は予報通りの晴天で、いつもより早起きした私はさっそく掃除に取り掛かる。念入りに掃除機をかけ拭き掃除も丹念にした。そして買い物へ出掛け、日用品の足りないものを買い揃えた。
何も欠点のない家の中。チリひとつない部屋の真ん中で、やり遂げた感慨に浸りながら、私はカバンから小さな青い小瓶を取り出した。
この小瓶には青酸カリが入っていると、死んだ祖父が言っていた。
戦争中、アメリカが本土に上陸した時は、これで自決するようにと、陸軍から配られたものだったらしい。
祖父の遺品を片付けている時に、偶然見つけたものだった。小瓶を手にした時は、祖父からのプレゼントだと小躍りした。いつまでも踏み切れないでいた私の背中を、どんっと押し出してくれたように感じた。
さてと一息ついて、いよいよ小瓶を開けようとした時だった。
玄関ポストに、何かがカタンと入れられた音がした。
覚悟を決めた矢先に腰を折られたようになり、いったい何が届いたのだろうと、確認の為に小瓶をテーブルへ置き、玄関ポストへ向かった。
ポストの中には一通の手紙。
宛名は私になっている。差出人の名前は封筒のどこにも書いてない。
今時メールでもなく、SNSでもなく、わざわざ手紙で私にメッセージを寄こすなんて、いったい誰なんだろう?
イライラしながら封筒を開ける。
中には1枚の便箋に、たった1行の文章が書かれていた。
今、何をしていますか?
15年前のじめじめとした6月の終わりに、私は突然交通事故で夫を亡くしてしまった。職場の同僚や上司の佐藤常務も、気を落とさないようにと気遣ってくれたが、私は大丈夫、妙な自信があった。
夫とは夫婦というより同志といった関係で、お互いにライバルのように意識しながらも、それぞれの社会で戦っていた。
子どもはいらないと、当時流行りのディンクスを気取って、お互いに励まし合いながら仕事に邁進していた。遣り甲斐のある仕事で、夫を亡くしてからも、欠落感を埋めるように仕事に打ち込んできた。周りからも一目置かれる立場になり、それなりに達成感もあった。
今になって当時の事を振り返ると、現実への直視をひたすら避けて、夫という片翼を失くした穴埋めを仕事でカバーし、夜は泥のように眠る毎日を送っていたように思う。
夫と死別して5年後、今からちょうど10年前。
疲れが溜まっていたせいか、風邪をこじらせ肺炎になってしまい、入院をすることになった。
新米事務員の女の子が労わるような視線を私に送りながら、入院手続きの説明をしてくれた。
「ここに保証人の名前と印鑑をお願いします」
私はマスクの奥で咳込みながら、上司の名前を記入した。
何かあった時は「遠くの親戚より近くの友だからね」と、直属の上司である佐藤常務が、自分を頼るようにと冗談めかしていつも言ってくれていた。
保証人の欄に書かれた名前が、私の苗字と違うことに気付いて、事務員の女の子が首を傾げた。
「会社の上司でもいいのかしら?」私が確認の為に尋ねると、
「あっはい、大丈夫です。ご主人ではないのですね?」
「夫はもうとっくに死んじゃったの。子どももいなし、天涯孤独なのよ」
冗談っぽく言ったつもりだったが、高熱と全身の痛みと激しい咳に苦しんでいる中年女を前にして、女の子の顔がみるみる同情の表情に歪んでいった。
「すみませんでした、お寂しいですよね。もう大丈夫ですからね。先生が来るまで、しばらくお休みください」
そういうと事務員の女の子は、病室をそそくさと出て行った。
娘ほどの年が離れた事務員に、気を遣わせてしまったようだ。
労わりの言葉というより、小さな子どもをあやすような、または年寄りを赤ちゃん扱いしたような言葉使いだった。
酷くめまいがして、激しい咳込みのせいか胸も苦しい。
無意識にベッドで横になりながら自分の両手を眺める。血管が浮き出ているし、細かいシワもある。マニキュアをしてはいるが、やはり年齢は隠しようがない。私は自分でも気付かぬうちに弱く老いていたのだ。
このまま消えてしまいたくなった。誰かに頼らなきゃいけない現状も、面倒を掛けるのも死ぬほど嫌だ。
暫くして病室に佐藤常務がお見舞いと、直近の仕事の打ち合わせに来てくれた。
「ご迷惑をおかけしました。すぐに退院できると思うのですが、とりあえず明日の会議のアジェンダを託しておきたくて」
気遣うような視線で私を見ながら、佐藤常務が椅子に座りUSBメモリを受け取ってくれた。この企画は私の代名詞になるという確信があった。最後まで携わりたいが、こうなった以上仕方がない。手柄をこんな形で譲ることになろうとは、悔しさと情けなさが私から気力を奪っていく。
「気にするな、若い奴らもそれなりに成長している。安心して任せられるさ」私を安心させようと、更に常務が優しい言葉を掛けてくれたが、薬の影響で眠ってしっまったようだった。
気が付くと私の枕元に、A4サイズのファイルが置かれていた。中には『10年後の私へ』と題された企画書と、見本の便箋と封筒が入っていた。 そういえば緑化イベントで、そんな企画を考えた新入社員がいたことを思い出した。封筒には「気晴らしに書いてみて!」と、付箋にメッセージが書かれていた。
10年後の自分?
私に代わる者はいくらだっているし、これからもたくさん現れるだろう。
私はますます老いて弱くなっていく。
病気で気弱になったせいか、失くした片翼が恋しくなってきた。
機械的にペンをとり、10年後の自分へ手紙を書く。
同じリズムで落ちていく点滴のしずくを眺めながら、この先いつまで今の地位を保持できるか、私の中の何かがガラガラと瓦解していった。
そうだった。あの時以来、私は何もできなくなり会社も退職してしまったんだった。皆が止めてくれたが、中にはチャンスが巡ってきたと喜んだ者もいたかもしれない。
自分へ手紙を書いたあの日から10年が経ったのか。
心療内科に通う日々の中で、出来ないことが増えていって、今では一人での生活もおぼつかない。いよいよ自分で終える時がきたと覚悟を決めた。
今、何をしていますか?
今まさに毒薬を飲み込み、自分を殺すところだ。
手紙を青酸カリが入った小瓶の横に置く。そして視線を部屋の中に泳がせると、掃除が行き届き整然とした、小さいけど完璧な景色が目に入ってきた。
今日は早起きをし、掃除を丹念にして買い物にも出掛けた。足りない日用品も買い足して、少なくても明日の生活に支障を来すことはない。全く抜かりがないじゃないか。
生を終えることばかりに集中して、妄念から逃れられていたのか?
間違い探しをしているようなわずかな変化だったとしても、片翼で飛べるのはほんのちょっとでわずかな距離だけど、間違いなく私自身が起こした変化だ。
今、何をしていますか?
あの頃の私は背伸びばかりしていたのかもしれない。
欲張りで目的も目標もなく、だたひたすら突き進んでいただけだったのかも。今は何もない。誰も私に期待などしない。そもそも引退してから10年も経っているのだ。私の事を覚えている者も限られた人間だけだ。
青い小瓶を戸棚の奥に仕舞った。
そういえば読みかけの単行本があったはず。それを読むだけの一日があったとしても、いいじゃないか。一日一ページずつ、ゆっくり捲って命が尽きるまでに読み終えてみよう。
窓の外からモズの鳴き声が聞こえる。縄張りを主張しているのだろう。明日もここで鳴くだろうか?
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嬉し恥ずかし、シロクマ文芸部へ初参加させていただきました。
小牧様や会員の皆様には仁義もなく、いきなり稚拙な小説を披露する羽目になりましたが、今の私にはこれが精いっぱいでございました。
至らぬ部分は全て伸びしろと自分で慰めております。
どうぞよろしくお願い致します。
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