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夜の神社で(#シロクマ文芸部)

 布団から出て行こうとする琥珀を、思わず抱きとめようとした。
 琥珀は私の飼猫で、寒い冬の夜は天然の湯たんぽとして琥珀は欠かせない。
「どこ行くの?外は寒いよ」
 声を掛けるけど、琥珀は振り向きもせず、軽く伸びをして、猫ドアから外へ出ようとしていた。
 今夜こそどこへ行くのか確かめなくちゃ!
 急いでダウンジャケットを袖に通しながら、スマホのライトを頼りに、琥珀を追いかける。目的地があるのか、お隣さんの庭を突き抜けて、迷いなくずんずん進んでいく。
 琥珀が夜中に出て行くようになったのはつい最近の事だ。基本は家の中でのんびり過ごす琥珀なのに、夜になると出歩くようになり、朝には何食わぬ顔で私の布団の中に戻ってくる。
 今日こそどこへ行っているのか確かめたい。猫の集会があるという都市伝説のような噂を聞いたことがあるけど、琥珀は野良ではないし、天気の良い日にベランダで日向ぼっこする程度しか外に出ることはなかったから、とにかく最近の琥珀の行動は謎だ。
 近所のコンビニの前を通って、川沿いの土手に差し掛かると急に琥珀のスピードが上がり、小走りに追跡する。気付かれないように距離を保って静かについていく。
 このまままっすぐ行くと地元の氏神神社に行き当たる。小さな神社だけど、そこだけ森のように木々はうっそうとしている。琥珀は鳥居の前でいったん足を止め、うやうやしく拝殿の方角を見つめ、鳥居を潜って行った。
 今は真夜中で人気が全くない。ちょっと怖かったけど、ここまで琥珀を追ってきたのだから、改めて気を引き締めて鳥居を潜った。
 すると空気が一変した。小さな神社だけど、一歩境内に足を踏み入れた途端、太古の時代にタイムスリップしたような感じがする。
 琥珀は迷わず小走りで拝殿に向かう。こんな場所で猫の集会が行われているのだろうか。気付かれないように大きなご神木の陰に隠れて様子を伺った。

 すると、お賽銭箱の前に見事な角を持った鹿が一頭、社殿に向かって頭を垂れて立っている。そこだけ暖かな光が鹿に降り注ぎ包まれているようだ。 そしてその鹿の後ろを取り囲むように、様々な動物が座っている。琥珀も一番後ろのリスの隣に座った。
 暫くすると鹿が後ろに下がり、入れ替わるように猪が一頭前に進み出た。
 それはまるで社殿の中にいる神様と会話をしているような光景で、鹿と同じように暖かな光に包まれ、うやうやしく頭を垂れている。
 何を話しているのか気になり、気付かれないように風下に移動し、少しだけ近づけた。
 猪と入れ替わって、今度は猿が前に進み出た。そして同じように光に包まれると猿は淡々と話し出した。
「仲間の熊が冬眠中に子熊を産みました。どうか健やかに育ちますように」
 不思議なことに、猿の話す言葉が聞き取れた。
「叶えよう」
 その声は社殿の奥からではなく、境内の中で響くように心地よく耳に入ってきた。嬉しそうに少し頬を緩めながら猿が後ろに下がると、今度はイタチが前に出た。
「今年こそ伴侶を見つけて家族を作りたいです」
 イタチの願いを聞くと、後ろに控えていた動物たちはクスクスと笑った。
「叶えよう」
 イタチは嬉しそうにぺこりとお辞儀をし後ろに下がった。
 次にリスが前に出て訴えた。
「人間が木を切るので、私たちの食べ物が足りないのです」
 リスは両手を胸の前で合わせて、まるで祈るようなしぐさで話した。
「人間が10本の木を切ったら、11個の椎の実を植えなさい。人間が1000本木を切ったなら、101個のどんぐりを植えなさい」
 リスは少し不服そうにシッポを揺らしていた。すると大きな桜の木の上にいたフクロウがバサバサと翼を広げてリスと入れ替わるように前へ出た。
「私たちが子育てをする大きな木がないのです」
 少し間があって「叶えよう」
 フクロウに優しい言葉が掛けられると、皆はいっせいに拍手を送った。
フクロウは安心して、満足そうに桜の木に戻って行った。
 そして最後に琥珀が前に出た。
 少し元気がなさそうに、とぼとぼと拝殿の前に歩いていって座った。
「私はもうすぐ死ぬでしょう。それは良いのです。ただ聡美が悲しむのが辛いのです」
 聡美とは私の名前だ。不意に自分の名前が琥珀の口から出たので驚いた。しかももうすぐ死ぬなんて、まだ元気そうなのに。いったいどういうことだ?先月のワクチン接種の時だって、健康だと獣医から太鼓判を貰ったばかりだ。
「聡美は私がいないとダメなのです。聡美が悲しまないようにお願いします」琥珀は必死に訴えている。それほど深刻な状態なのだろうか?
「命が消えるのは定め。最期まで尽くしなさい」
 それだけ告げると光は消え、動物たちはちりじりに走り去って行った。
 琥珀はしばらくその場を動けないでいる。
 私も戻らなくちゃ。琥珀が帰って来た時に私がいなかったら不振に思うだろう。
 
 布団の中で待っていると、目覚ましが鳴る1時間くらい前に琥珀が帰って来た。冬の寒空にいたせいで体が冷たかった。思わず抱きしめる。
 神社で見たあの光景は夢だったのだろうか?
 
 あれからしばらくは何も変わらない日常が過ぎていった。あの夜の記憶もあやふやで、やっぱり夢を見ていたのだと思う。だって動物の言葉がわかるなんて、しかもリスと猫の琥珀が隣同士に並んで座っていたなんて、まるで童話の世界だ。
 ところがそんな矢先、あの時見た光景が真実だったと、突然思い知らされる時が来た。
 琥珀がベランダでうずくまるように横たわっていた。「琥珀!」と呼びながら抱き上げると、既に冷たく琥珀は息をしていなかった。
 神社では私が悲しむことを心配していた琥珀だったのに、神様は琥珀を助けてはくれなかったのだ。
 悲しみと怒りに囚われて、私は琥珀を抱きしめ神社の拝殿前に走っていた。
「どうして助けてくれなかったのですか?」訴える様に琥珀の亡骸を差し出した。涙があふれてくる。涙を何度もぬぐいながら拝殿の先を見つめると、小さく光るものが目に入った。
 どんぐりだ。
 艶やかなどんぐりが、3個並べて置かれていた。あの時のリスがどんぐりをお供えしたのだろうか?あのリスはあの夜の言葉を守って、どんぐりや椎の実を植えているのかもしれない。
 私は琥珀の亡骸を抱きながら、神社裏の山道を登っていた。
 山の斜面にはリンゴ農園があって、農家の方が忙しくリンゴの木の手入れをしていた。そして農園の中をぼんやり眺めていたら、大きな木箱からフクロウの顔がのぞいているのが見えた。農家の方がネズミ駆除の為にフクロウの巣箱を設置しているというニュースを思い出した。
 ああ、そうか。あのフクロウの願いは叶えられたんだ。
 日が暮れてきた頃、いつまでも動かず農園を眺めている私に気付いて、農家の男性が近づいてきた。
「どうしたね?もう暗くなるから、早く帰った方がいいよ」
「すみません、あれはフクロウの巣箱ですか?」
「そうだよ、リンゴを食べてしまうネズミを捕ってくれるらしいから、保護活動をしている人に手伝ってもらって取り付けたんだ。さっそくつがいになったフクロウが栄巣を始めたみたいで、楽しみが増えたよ」
農家の方はスマホを取り出して「見てごらん、他の農家で雛が生まれてね。見せてもらったんだけど、可愛かったよ」と、動画を見せてくれた。
 2羽のフクロウの雛が巣立ちの時を迎え、親のフクロウに促されて外の世界に羽ばたいていく様子が撮影されていた。「うちの農園でも、今年の春にはフクロウの雛が巣立つかな」男性は嬉しそうに笑った。
 新しい命はいつも美しく輝いている。
 それに比べ、私の腕の中の亡骸は固く硬直して生気がなく、まるで作り物のよう。この亡骸の中には琥珀はもういない。

 農園の方にお礼を言い、再び神社の境内に戻っていた。辺りはもうすっかり暗くなっていた。
 すると琥珀の亡骸を抱く私の周りだけ、暖かな光が広がっていく。
「その亡骸にはもう命はない、わかるだろう?」
「わかります、でも耐えられない」
「琥珀は最後までお前の事を心配していた。感謝して送ってやりなさい」
その言葉が聞こえた後、ゆっくり琥珀の亡骸が光に包まれ空に消えていった。
  
 あっけない別れだった。
 いや、違う。分かれではない。今でも琥珀の気配を傍で感じられる。
 私も椎の実やどんぐりを植えよう。そしてフクロウの巣箱を作って森に設置しよう。新しい命が誕生する瞬間に立ち会う為に。
 あれから何度もあの神社に訪れてみたけど、あの時のように光に包まれたことも、動物たちの姿を見ることもなかった。
 
<完>
 




 



 











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