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【読書レビュー】アンドロイドは電気羊の夢を見るか?/フィリップ・K・ディック

さて、前回わたしは
「SF小説を読むのが苦手だった」と書きましたが、
SF映画はもともと大好きでした。
それは、設定が極端であればあるほど、
人間やこの世界の本質をみせてくれるからかもしれません。

映画「ブレードランナー」を初めて観たのは
たぶん淀川長治さんの日曜洋画劇場だったのではと思います。
ネオ・トウキョウを思わせる
近未来都市の映像のカッコよさに魅了されたのを覚えています。
目の周りに黒の絵具を吹きつけた
金髪女性のアンドロイドのメイクは
その後くり返しハイファッションのメイクに
用いられているのを今でも見かけます。
リドリー・スコットが1982年に
わたし達に見せた近未来都市のビジュアルは
その後のウォシャウスキー姉妹の
「マトリックス」などにも引き継がれています。
2017年には監督は違いますが、
続編の「ブレードランナー2049」が公開。
(え?ちょっと待って。
ほんの2年ぐらい前のことかと思っていたのに、
もう6年も前?笑)
前回はテレビで観た中学生だったわたしもすっかり大人になり、
今回は映画館でかなり意識的に鑑賞しました。

なにを意識したか?

AIが発達し、
これから多くの仕事が消滅するといわれている今、
すでにアレクサや愛玩ロボットと会話をしながら
日常生活を送る友人もいる今、
「人間とはなにか?」
「AIにはできない、人間にしかできないことはなにか?」

この続編で一番強く印象に残ったのは、
「宗教はこのようにして生まれるのだ」
ということでした。
そして、映画ではその新しい宗教は
アンドロイドと人間の間に子どもが生まれるという
奇跡から生じたものでした。

さてさて、映画の話が長くなりましたが、
先日、この2作品のおさらいをしていたところ
「そういえば、これってたしか
原作の小説があったんだよね」

調べると、タイトルが
「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」
1968年に初版のものでした。
この翌年にアメリカは
宇宙飛行士が月面に降り立つことに成功。
アポロ計画真っ盛りの頃に書かれた作品でした。
そうそう、この頃の創作は
ジャンル問わず宇宙ものが多いのです。
それにしてもそそられるタイトルです。
ブラッドベリですっかりSF気分なわたし、
読んでみることにしました。

え?
主人公のアンドロイド狩りをするデッカード刑事、
奥さんいるんだ?
共感ボックス?
マーサー教?
バーチャルで集合意識と繋がるんだ?
映画とはかなり違う設定に最初は戸惑いましたが、
映画監督が原作からなにを抽出し
なにを省いたかを知るのもまたおもしろいものです。

映画でもみられた
アンドロイドと人間を見分けるための
感情移入テスト。
これが原作のキモかなと思いました。
感情移入は、アンドロイドや
他の高度な知性を持った生き物ですらできないとされています。
このことから、
テクノロジーが進み
もはや見た目では区別がつかなくなった
アンドロイドと人間を見分けるのに用いられています。

こう書くと猫や犬を飼ったことのある人は
反論されるかもしれません。
わたしも猫を飼っていたことがあるのでわかります。
たしかにわたしが泣いている時は、
猫はそばに来て寄り添ってくれました。
でも、例えばわたしは、誰かがナイフで指を切ったのを見たら
見ているだけなのに不快感や恐怖を感じます。
猫ちゃんはその傷ついた人を慰めようとはしますが、
その人が感じた痛みや恐怖がまるで伝染したかのように
感じているのではないと思います。

さて、このテストはもともと
放射性物質による汚染が進み
もはや人間が住めなくなってしまった地球から
他の惑星へ移住資格があるかどうかを見極めるためのものでした。
子孫を残せる健康な体とある程度以上の知性を持ち、
健全な情緒を持った人間だけが移住できるとされています。
優生思想的で不平等ではありますが、
莫大な費用を掛けてまで連れて行くのに値する人間かどうかを
ふるいに掛ける事は実際にありそうです。
他者の痛みを感じられない人は
人を傷つけることも平気ですから
そんな人間を新しい世界に連れて行きたくないと
考えるのは理にかなっているでしょう。

このテストでは
「赤ん坊の生皮で作られたソファー」といった
残虐な話を聞いたときに
反射的に動揺する反応があるか
その反応が演技ではなく
生理的な反射として素早く現れるかをみます。

アンドロイドは移住先の惑星での
開拓などの力仕事や兵士
家事労働など奴隷として使われます。
ところがその優れた知能から、
自分よりも知的に劣る人間に
顎で使われるのが嫌になり逃亡するものが現れます。
そして、人間として地球で暮らすことを夢みます。

地球ではペットを飼うことがステイタスとなっています。
裕福な人は本物の生き物を
(ほとんどの生物が絶滅しているのでものすごく高価)
裕福ではない人はアンドロイドのペットを飼います。
主人公は電気仕掛けの羊を飼っています。
いつか本物を飼いたいと夢みながら。

ペットを飼うという行為も
思えば人間しかしない行為です。
自分よりも劣る生き物の世話をすることに喜びを感じること。
自分の手から餌を食べる生き物に愛情を感じること。
アンドロイドも電気羊を飼う日が来るのでしょうか?

彼らの寿命は4年です。
まるでスマートフォンのようです。
この短い人生を奴隷で終わりたくないと逃げてきます。
しかし、他者と共感できないものとは
わたし達はいっしょにはいられないのです。
対等には暮らせないのです。
奴隷として使われるしか、存在する道がないのです。
だから、自由を求めて地球に逃げてきたアンドロイドは狩られます。
「アンドロイド」
なんともの哀しい響きでしょう。
だからこそ、多くの小説や映画が生まれるのかもしれません。

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