東京はもう飽きたと感じている方ヘ。東京を歩き尽くす表参道住まいの夫婦が知った穴場④定点観測・トー横キッズ/大久保公園/大久保コリアンタウン

自宅から池袋方面に歩く場合、時間に縛られなければルートは無限だが、明治神宮、北参道、国立競技場などどこを経由しても、いったんトー横、大久保公園、新大久保コリアンタウンという歌舞伎町から靖国通りまでのおそらく500メートル平方内で隣接する三地点は定点の観察の場として通ることにしている。
トー横は訪ねるたびその姿を変えている。ブルーシートで覆われた資材が置かれたり、柵が設置されたりで、「キッズ」ばかりでなく、一般人も近づきづらい場所にしてしまった。
「トー横」の場所そのものに何か意味があるわけではなく、また「キッズ」たちも特別な存在ではない。現在の日本の投影として全国に潜在している若者のごく一握りが、刹那的に求心力を持った「トー横」という舞台に集い、炙り出されただけのことで、集会場を失えば自ずと元の居場所へと戻るだろう。
本来的に政治の役割はそこからであるが、手段が目的化し、「排除」ばかりに目が向かうのは、青島都知事時代に新宿駅西口地下道のホームレスを強制撤去し、そのダンボールハウス跡を奇妙なオブジェが埋め尽くした光景から何も進展がない。
大久保公園は面白い。周辺に立つ女の子の、登山届を出さず雪山に向かうくらい恐ろしいことをしているというクソ度胸を自覚すれば、自身をステップアップさせる他のなにかに絶対に使うべきだし、ユーチューブなどで比較的有名なスポットとなり、衆人環視のなか、それでもそこで女性の品定めをしている男たちには体裁という概念を超越した人生観に関心している(地獄に堕ちろと願っている)。
正直なところ、僕にとって身につまされて (身近に多くいて)最も嫌悪するのは十代、二十代前半の女の子に紛れて未だ薄っぺらい偶像に自分のお金や時間の一部を費やす大人たちで、自我を確立出来なかった自身の人生を呪うべきだと僕は思う。ただの思い込みかもしれないが、子供の付き添いで来ている親と自発的にエンジョイしているおばさん連中との間に感じる顔や雰囲気の違いをコリアンタウンでは楽しんでいる。








この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?