植物は人間に都合良くできているわけではないし、先人達の試行錯誤を蔑ろにするのはいかがなものか

現代日本でどうにも気になることの一つが、植物由来だとか自然にあるものは安全・安心だと持て囃す風潮があることです。

しかし当たり前の話ですが、植物は植物自身のために生きているのであって、人間に食べられるために生きているわけではありません。というか、むしろ植物側にしてみれば自分を食べようとする奴は原則としては敵です。特に哺乳類は臼歯で大事な種子まで磨り潰して食べてしまったりするので、ありがたくない相手です。

それを示す例として、唐辛子に含まれるカプサイシンがあって、実はこのカプサイシン、哺乳類の辛味を感じるセンサーは反応させますが、鳥類のセンサーは反応させません。これは、唐辛子の実を食べたのが、歯が無くかつ消化管が短い鳥である場合は、実の中にある種子は無事に糞とともに排泄され、唐辛子の生息域拡大に貢献するのに対し、臼歯があるうえに消化管が長い哺乳類に食べられた場合は種子も無事では済まず、唐辛子側としては何も良いことが無いので、鳥には食べられても哺乳類には食べられないよう進化したと考えられています。

さて、カプサイシンのように忌避される味で食べられるのを防ごうとする場合もありますが、動物のように走って逃げられない植物にとって、有毒物質を産生することで食べられるのを防ごうとするというのはオーソドックスな戦略です。

いやいや人間の方だってそんな植物に対応して進化してきてるんだから、植物由来はやっぱり無害だろう、と思ってるそこのあなた。植物と一口に言っても、どんな物質を産生しているかは、種類によって全く違います。動物で言えば、マムシの毒とフグの毒が全く違うのと同じです。植物由来だから安全だと銘打っているその商品の原料植物、はたして、何万年もかかる進化で耐性を獲得できるほど人類が長期間接してきたものでしょうか?

ついでに言うと、薬も過ぎれば毒となる、という様に有害事象が生じるかどうかは量に依存します。人類史の大半は食うや食わずの時代なので、昔から食べられてきた植物であっても、量が大したことなかったから有害事象が発生していなかっただけ、という可能性もあります。翻って現在では、みのもんたの番組などで紹介されれば、一時に大量に食べられたりします。はたしてそういう場合でも安全と言えるのかは、分かりません。

つまるところ、植物由来だろうが何だろうが、調べてみないと安全性が分からないという点では、(世間では危険物の代名詞のように扱われる)人工的に合成した化学物質となんら変わることはないのです。

むしろ、人間に使われることを前提として合成されたものであれば(工業用は別)、人間が、人間への影響を配慮して作り、人間にとって安全かをチェックした上で世に出しているものの方が安全性は高いともいえます。

柳に含まれるサリチル酸はかつて鎮痛剤として利用されましたが、胃腸に対する副作用が非常に強いため、副作用が少ないアセチルサリチル酸という物質が作られました。これが、現在でも使用されているアスピリンです。

現在の薬は、天然に存在するものよりも、より安全性が高く、効果が高いものを作ろうとしてきた、このような先人達の試行錯誤の上に成り立っているのです。

ところが現代日本ではこのような先人達が払ってきた努力や犠牲は蔑ろにされ、天然に存在するものをそのまま使うことが何より素晴らしいことだという風潮があります。

先人だけでなく、現在進行形でも新たな薬を開発しようと日夜勤しんでいる人達がいますが、そうした努力が「なんかあいつら怪しい」「絶対裏では悪いことをやってる」という印象論や陰謀論(多くはテレビや漫画によって流布されるイメージに基づくもの…まあ、ちょっと前のノバルティスの件のような、製薬企業の一部による不正も原因の一つでしょうが)によって無下にされているのは残念なことです。

人工的に合成された物の安全性については、何かというと「科学は万能じゃない」「100%絶対に安全だと言い切れるのか」と言われます。確かに、科学は万能というわけではないですし、「100%」「絶対に」「言い切る」ことはできません。

しかし、例えて言うなら、「100%何があっても絶対に転落事故が起こらない非常階段」を作ることはできなくても、下に降りる手段が窓から飛び降りる他無い現状で、「窓から飛び降りるのと比べればずっと安全な非常階段」を作ることはできます。

それは間違いなく意義のあることだと、私は思っています。

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