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書籍化企画 『いきのこり日本美術史』(公開プレゼン in note)

ありがたいことにnoteをコツコツ更新していたら、そこから書籍化の話が進み『学芸員しか知らない 美術館が楽しくなる話』(産業編集センター)を出版することができました(重版も決まり好評発売中)。

一度経験すると、ふとした時に書籍のアイデアが浮かぶようになります。「あ、こんなテーマも面白いかも」みたいに。
とは言え、自分のアイデアは客観視できません。我が子(アイデア)は誰よりも可愛く思えてしまうものですからね。というわけで、ここで頭出しをして反応を見たいと思います。

その名も

『いきのこり日本美術史』

または

『クリエイターのためのいきのこり日本美術史』

日本美術史というとっつきにくいジャンルを、クリエイター(美大生やクリエイティブな仕事に関心がある人)に向けて語るという切り口で、他の概説書とはすこし違う毛色にしたら面白いなと思うのですがどうでしょう。ニッチすぎますかね?
ひとまず、以下の序文案とサンプル記事をご覧ください。編集者さん興味があったらご連絡ください(笑)。

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はじめに

本書は、クリエイターに向けて語る日本美術史です。クリエイターには、その卵である美大生やクリエイティブな仕事に関心がある人も含みます。

日本でははるか昔から今日にいたるまで、多くの画家が登場し、その名を歴史に刻みました(近代より前の呼び方としては画家よりも絵師の方が正しいのですが、それだとどうにも縁遠い感じがしてしまうでしょうから、ここではあえて画家と呼びます)。でも実際は、私たちが知っているその何十倍、何百倍もの人数の画家たちが活動していたはずですよね。今の時代まで作品が残り、私たちがその名前を知ることができる画家は、その中のほんの一握りに過ぎません。

歴史の荒波を乗り越えることができた画家と、歴史に淘汰されてしまった画家。言葉を選ばずに言えば、成功した画家とそうではない画家。そこには一体どのような違いがあったのでしょうか。絵の技術の差でしょうか。独創的な表現か否かでしょうか。それとも他に要因があったのでしょうか。
結論から言えば、その答えは画家一人一人で異なります。当たり前ですね。画家も食べていかなくてはいけませんから、生き残るために各々が作品の中と外の両方で自分なりの工夫をこらしていました。幸運にもその試みが成功した者だけが、今こうして日本美術史の1ページを飾ることになったのです。

さて、この「いきのこり日本美術史」というアイデアは、私が美大生に向けて日本美術史を教えることになった時に思いつきました。
創作者の卵として美大に入学した学生たち。美大では実技指導や創作指導を受けながら、「精一杯いいものを作ろう!」「自分の感性にしたがって表現しよう!」「自分の世界観を絵で表そう!」と夢中で作品作りに打ち込むことでしょう。
ただし、もし卒業後に本格的に作家としてやっていくとなると、それだけでは不十分であり、自分の作品を世に出し、受け入れられる必要が出てきます。「いいものを作ればそれでOK」というわけにはいかず、自分の表現したいことと社会の接点を見出すという作業が避けて通れません。今をときめくような現代アーティストも、実はみな必ずこの過程をくぐり抜けています。

私は長年、美術館学芸員として働いてきたので、この美術と実社会のつながりという点は非常に強く意識しています。でも美大生がこれを理解するのはなかなか簡単ではないでしょう。
なぜならば、彼ら彼女らは子どもの時から美術が好きで好きで、それが高じて美大進学を志望するようになり、おそらく高校時代は予備校で美大受験に特化したトレーニングをし、高倍率の受験をくぐりぬけてようやく美大に入学するわけです。さらに大学では周りの同級生も先輩も教員の多くもみんな創作者(もしくは美術関係者)という環境の中で学ぶことになります。これらの過程では、アートに関心がある人にしか出会わないと言っても過言ではありません。
これはある種のフィルターバブルの中で育成されるようなものなのですが、当人はなかなかそれに気づくことができません。私自身は美大とは縁もゆかりも無い、文学部出身です。こうした美大にとっての異物だからこそ、美大を取り巻くこの特殊なバブルを感じることができるのかもしれません。
美術作品は作品単体で成り立つものではなく、社会と結びついて初めて価値を持ちます。その点、私が勤めてきた美術館という場所は、作品と人、作品と社会をいかにつなげるかを試行錯誤し続ける場です。そうした現場にいたからこそ、美大の学生たちにはいいものを創って満足するのではなく、その創作の一歩先に目を向ける重要性を伝えたいと考えました。文系出身、美術館育ちという異端ならではのアプローチです。

とは言え、あまり積極くさいことを言っても、学生たちの心には響かないでしょう。それよりも、雪舟が、永徳が、光琳が、そういう誰もが知る画家たちがどうやって自分の絵を世に認めさせたのか、その具体的なサバイバル術を紹介することで、興味を持ってもらえるのではと思いつきました。
もちろん彼らはそれぞれ素晴らしい作品を描きました。その表現内容についても詳しく触れたいと思いますが、その創作の外側で彼らがどんなピンチを迎え、それをどうやって乗り越えたのか、という点にフォーカスして語る切り口は、従来の日本美術史とはやや異なると言えるでしょう。

美術を崇高なものだと考える人には、過去の大家を例に取った生き残り方のハウツーなんて、とても通俗的に感じるかもしれません。でも、これからクリエイターとしてやっていこうとする人、または今すでにクリエイティブな職についている人にとっては、過去の作家の具体的な試みが参考になることがあるはずです。そして、今や古典とされるような作品を残した画家であっても、「いい作品ができればそれで満足さ」なんて考えずに、とても泥臭く現実的に活動をしていたと知ること自体が、様々なヒントを与えてくれると信じています。

自分では絵の1枚も描けない私から、クリエイターの皆さんに贈ることができる精一杯のエールだと思ってもらえれば幸いです。

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【というわけで、こんな内容を考えています】

[サンプル記事]いきのこり日本美術史vol.1 雪舟等楊

[他の候補画家]
狩野元信/土佐光信/狩野永徳/長谷川等伯/俵屋宗達/狩野探幽/狩野山雪/尾形光琳/土佐光起/池大雅/円山応挙/谷文晁/長沢芦雪/喜多川歌麿/葛飾北斎/歌川広重/鈴木其一など

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また別の企画を思いついたら、こんな感じで反応を見たいと思います。何が当たるか分かりませんからね。