上條雅峰

1964年長野県生まれ 書家である父より書を学ぶ 日本自由書道連盟常任理事 日本デザイ…

上條雅峰

1964年長野県生まれ 書家である父より書を学ぶ 日本自由書道連盟常任理事 日本デザイン書道作家協会 会員 桃李会主宰 書家

最近の記事

紙と和紙の歴史

 「後漢書」には105年に蔡倫が紙を作り、和帝に献上したという内容の記述があります。なので、この蔡倫が紙の発明者だと伝説的に伝えられてきましたが、真偽の程は不明のままでした。  ところが、1986年に中国甘粛省の放馬灘(ほうばたん)で世界最古の紙が出土し、蔡倫=紙の発明者説は大きく揺らぎます。出土した紙は、BC179年頃~BC142年頃のものと推定され前漢文帝・景帝の頃の古墳から出土したものです。その紙には、前漢時代の地図が書かれていました。 1.紙の発明以前〜蔡倫 中国

    • 墨の伝来と日本における墨作りの始まりについて

       日本書紀の記述に「推古天皇の18年春3月、高麗王。僧曇徴よく紙墨をつくる」とあり、これが日本における墨についての記述の最初のものだということになっています。  推古天皇の18年というのは610年にあたります。その記述によると、高麗の王は、僧である曇徴(どんちょう)と法定(ほうじょう)を献上しました。曇徴は五経(儒教の本)を知っていて、また彩色(絵の具)と紙墨(紙と墨)を作り、碾磑(水力を利用した臼)を作ることができた、ということです。  けれど、このときに紙と墨が初めて伝

      • 硯研ぎに革命だ!

         硯は、どんな石はどんなものでもよいわけではなく、墨をおろすために鋒鋩(ほうぼう)と呼ばれるやすりの目のような細かい粒子があります。  墨をよくおろすためには、その鋒鋩を立たせてあげる目立てが必要で、そのために硯を研ぐという作業が必要です。 1.硯用砥石「泥砥石」 硯を研ぐためには、専用の砥石もあって、書道用品店に行くと「泥砥石」という硯の砥石を売っています。  当然私もその砥石をつかって鋒鋩を立たせていたのですが、研ぎ方によっては硯面に傷がついてしまうこともあり上手く研

        • 墨の始まり

           この記事は、2017年にブログに掲載したものを加筆・修正したものです。  古代中国、殷の時代に現在の漢字の起源になる「甲骨文」が生まれました。牛の肩甲骨や亀の甲羅に文字が刻まれています。  刻まれたものですから、刻んだものは硬い鑿のようなものか石の刀のようなものではないかと想像できます。  けれど、その甲骨文字の中には、墨で書かれた跡があるものがあということです。この墨で書かれた部分は、甲骨文字を刻むための下書きと考えられます。つまり、そのような漢字の始まりの初期の段階

        紙と和紙の歴史

          機械漉き和紙の歴史

           この投稿は2017年にブログで掲載したものに加筆修正したものです。  日本で初めて機械によって紙が漉かれたのは、1874年(明治7年)のことです。1872(明治5年)年2月東京・日本橋蠣殻町で創業した「有恒社」は、イギリスの抄紙機(しょうしき 紙を漉く機械)と製造技術を導入し、1874年(明治7年)7月から洋紙製造を開始しました。  有恒社はその後、王子製紙亀有工場となり第二次世界大戦末まで操業を続けました。  洋紙の始まりと同じ1874年(明治7年)、紙幣寮(大蔵省紙

          機械漉き和紙の歴史

          硯を加工してみたら、案外楽に削れました

           だいぶ以前、近所にリサイクルショップがありました。コロナ後になくなってしまったのが残念です。その店には、時々書道用品が並ぶ時がありました。  おそらく書道をされてる方が近くにいたのでしょう。雨畑の円硯が5,000円で出されていて、少し迷っている間に誰かに買われてしまいました。あれは惜しかった。なかなか良い硯だった。  そんな事もあり、時々そのリサイクルショップをのぞいていたのですが、ある時「那智黒」の硯が出ていました。ウェブで調べてみると何かの記念で作られた硯箱セットにつ

          硯を加工してみたら、案外楽に削れました

          書家・上條渓楓 遺作展のお知らせ

           来る7月20日(土)、21日(日)の二日間、池袋駅すぐ近くのオレンジギャラリーにて、父・上條渓楓の遺作展を行うことになりました。  父が亡くなって半年。しばらくは何にもする気が起こらないと言っていた母も、遺作展を開きたいと話したら、とても喜んでくれて、次第に元気を取り戻しました。  今は、私の書道教室「桃李会」メンバーのために、継ぎ紙を作るほど元気になりました。  一般的に書家はそれぞれ得意な書体があって、個展に展示される作品は、篆書を書く作家ならは篆書が中心、隷書な

          書家・上條渓楓 遺作展のお知らせ

          継ぎ紙

           先日作った唐紙を使用して、いよいよ継ぎ紙にしてゆきます。まだまだ初心者なので、葉書サイズの紙を作りました。 1.唐紙を切る 切ると言ってもカッターで切るわけではなく、ちぎるように切らないと、切り口が味気ないものになってしまいます。  あらかじめ設計しておいた型紙にしたがって、紙に目打ちをつかって跡をつけていきます。  このとき、下になる方の紙は、2〜3mmほど重なりをつけて跡をつけてゆきます。糊代ですね。 2.紙を切る(ちぎる) 目打ちでつけた点々をたぞるように、さら

          紙と環境破壊と和紙

           この記事は、2017年にブログにあげたものを加筆・転載しています。  日本においての洋紙生産は、1874年(明治7年)に始まり、次第に盛んになってゆきます。  当時の紙の生産統計によると、明治17年には手漉き和紙がシェア100%でした。しかし、洋紙生産が急速に拡大して 、1897年(明治30年)には手漉き和紙80%、明治40年には手漉き和紙61%。そしてついに、大正元年に手漉き和紙50%となって、洋紙とシェアが半々になりました。 1.和紙生産の減少 手漉き和紙の生産高は

          紙と環境破壊と和紙

          右は左から、左は右から

          つたえふみさんという方の記事を興味深く読ませていただいています。左利きのつたえふみさんが、小学校で習う漢字を右手で練習なさっている様子を記事にしてくださっています。  その中で、漢字の筆順についても言及されているのですが、筆順ってほんとに覚えるしかないですよね。私も書をしているくせに、筆順間違っていることがよくあってお恥ずかしい限りです。 1.右は左払いから書く 「右」という字、ついつい横画から先に書いてしまいがちですが、左払いが一画目なんですよね。通常、縦画と横画が交わっ

          右は左から、左は右から

          雲母刷り(きらずり)

           継ぎ紙の体験会のための準備はまだ続きます。前回の続きです。  今回は、継ぎ紙の材料となる唐紙を作ります。今回も和紙づくりの作家でもある母に指導していただきました。 1.具引き(ぐびき)  薄めの鳥の子紙にドーサ引きし、胡粉と染料で色をつけてゆきます。ドーサ液のレシピは前回と同様。これを紙の表に3回、裏に2回塗って、乾いてから、胡粉と染料を混ぜたものを塗ってゆきます。  具引き用の胡粉のレシピは次の通り… 三千本を1本を水100ccで戻した膠液を30cc(残りは他の用途に

          雲母刷り(きらずり)

          藁は白かった

           この記事は、2017年にブログにあげたものを加筆、再録したものです。  山梨県身延町といえば、雨畑硯の産地。けれどもう一つ、西嶋和紙もこの地の伝統工芸品です。  西嶋和紙は、三椏(みつまた)を主とした画仙紙を生産しているのだそう。その、西嶋和紙を製造する、山十製紙さんの工場を見学させていただきました。 1.画仙紙は藁でできている! 書で画仙紙といえば、中国製のもの。適度なにじみ、カスレがあって漢字作品に使われる紙です。和歌や俳句などかな作品を書くには、にじみの少ない和

          藁は白かった

          金砂子を撒く

           私が主催する書道教室「桃李会」で継ぎ紙の体験会を開きたいと思い、料紙や和紙人形の作家でもある母に講師をお願いしたところ、もう歳だからできないと断られてしまいました。代わりに、簡単な継ぎ紙の作り方を教えるから私が生徒さんに教えればいい、とのこと。ならば、教わりましょう。  ということで、まずは継ぎ紙の材料となる金砂子を撒いた料紙を作ってみました。 1.料紙にドーサを引く 「ドーサ」という言葉は知っていましたが「礬水」といういう漢字で書くことは知りませんでした。  ドーサの材

          金砂子を撒く

          現代日本の正字体(楷書・五十音)

           中国の歴史の中で正字体を制定できたのは、強大な権力を持つ帝国であった秦(正字体=篆書)、漢(正字体=隷書)、唐(正字体=楷書)だけでした。それほど国の文字を定めるという事業は、大変なことだったと言えるでしょう。  ところが日本の明治政府は、公文書の文字を江戸時代まで使われていた御家流(行草体と変体仮名の書)から、楷書カタカナまじり文に変えるという大転換を行いました。列強に遅れまいとする明治という時代の機運だったのかもしれません。あるいは、旧幕府を廃することを強く形として推

          現代日本の正字体(楷書・五十音)

          日本固有の文字(仮名・平安がな)

           「古事記」を編纂した太安万侶(おおのやすまろ)は、その序文で「上古の日本語の文章詞句を漢字で表記することは甚だむずかしい。」と嘆いています。  安万侶は漢字と借字だけで日本最古の歴史書を書き上げたのですから、大変な苦労だったと推察できます。 1.草仮名の成立  万葉(奈良時代)のころ使われていた借字は楷書で書かれていましたが、都が平安京に遷都されるころから借字を草書で書くようになりました。8世紀末から9世紀にかけての文書に草書化した借字が使われています。このように省略が

          日本固有の文字(仮名・平安がな)

          日本の速記体(カタカナ)

           2007年のNHK大河ドラマ「風林火山」で、ガクト演じる上杉謙信が甥に書を教えるシーンがありました。そこで、手本を書いてやろうと半紙に書いていたのはカタカナでした。実際に米沢市上杉神社には上杉謙信がのちに景勝となる甥の喜平次に与えたと言われる片仮名手本が所蔵されているそうです。 1.カタカナの始まり 万葉の頃、借字による筆記法が定着した後、9世紀頃になると僧侶たちが漢文(中国語)を和読するために送り仮名などをつける「訓点」として、借字の一部を省略したものを使ったこと

          日本の速記体(カタカナ)