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The Ultimate Sin(罪と罰)

何故「The Ultimate Sin」を「罪と罰」と邦題にしたのかは意味不明ですが80年代中期までは映画や洋楽のタイトルをこじつけの意訳をすることが流行ってましたな。捻りを効かせた訳が翻訳家の腕の見せ所のようになってました。

Uria Heepの「Look At Yourself」を「対自核」と訳すセンスは凄い。いかにも哲学用語的であるがそんな哲学用語はないww

さてこのオジー「罪と罰」は80年代きらびやかアメリカンハードロックの風潮を受けて実にPOPな楽曲で固められている。JUDAS PREISTの『TURBO』も同様ですな。

いかついはずのオジーやプリーストがボンジョヴィやポイズンのようになっちゃって。.

昨日の英語集合教育でEメール作成コーナーがありましたが講師の人がぶっちゃけて言ってました。「これからはビジネス文書もCHAT GPTを使うのが普通になるでしょう」

「しかしCHAT GPTをそのまま流用はウィキペデイア丸写しレポートではないがやはりダメなのです。現状は。なぜならCHAT GPTは文法やイディオムは完璧でも完璧を期すためか、長くなりすぎるのです。また最大公約数的に作るから送信者と受信者の親密度合いなどは考慮されず堅くなりすぎたり。結局人間が添削することが必要で基本的なライティング能力は必要なことには変わりないのです。」と

またCHAT GPT ではないがGoogle翻訳というものもあるがそれに頼らず、しかし辞書替わりにスマホやPCを使うことは現代人だと当たり前で、昔は紙の辞書を引いていたのを簡略化しているのです。」と。

別の講師の人も以前

「WritingはWordとかだと勝手にスペルミスは添削されたり機械に半分任せるからこれからはさほど重要なスキルではなくなるかも知れません。しかしスピーキングはまだまだ自動通訳機では細かい機微は伝わらず、拙くても、間違えがあっても人間の生のスピーキングがビジネスのシーンでは必要だ。」と。

実に現代的な英語事情ですね。車の自動運転に近い事象が発生している。

5/5のおはよう一直線で齊藤孝先生が「話が深い人の三つ力として①展開力 ②本質把握力 ③具体化力があります。」と。

展開力は話のネタの導入の仕方。流行りものには貪欲に飛びつき調査することが必要。3年前なら鬼滅の刃の映画を観に行くとか昨年だとトップガン マーヴェリックを観に行くなど。

本質把握力は一度抽象化、客観化して普遍的な概念として整理する。そして具体化力を使い再度具体性を持たせて飽きさせない話の展開だと。

基本的に私のエッセイや雑談もそのメソッドに近いものは駆使してますな。

それにしても涸沢ヒュッテで北穂、涸沢岳(涸沢槍)、奥穂をバックにおでんと生ビールを食らうのは最高ですな。

夏のピーカンな青空のもと昼間からぐるぐる回り酔いそうな。

オジーの「罪と罰」最終曲の「Shot In The Dark」のメロディラインやアレンジは良い意味で歌謡曲化か?と間違えるキャッチャーかつ物悲しさ。日本人大好きパターンですね。

少年隊やチェッカーズやC-C⁻Bの曲も当時(1986年)はそんあ感じでしたね。

バークアットザムーンに引き続きジェイク・E・リーがギターで参加。実に煌びやかで良い。超絶ギタリストまでいかないが丁度良いのである。

そういう意味ではサヴァタージのクリス・オリヴァも同様かも知れない。

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