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教養ってなんだい?


妻とよく話す

これこれこんなでてんてんぷるぷるころころで
バリバリむしゃむしゃどんがらがっしゃーんのぽんぽこピーらしくて
この曲はいいのよぉ

こういう話をすると

いやぁ
やっぱり教養のある人の作品って
いいよね

と返される

高橋幸宏さんがお亡くなりになって

教養のある音楽ってやっぱり素晴らしい

テクノやバンドといったサブカルチャーに
教養を持ち込んだのはYMOだった

というようなことをよく聞く

そうだねー
と思うが
ふと引っかかるなにかがある

教養ってのはそもそもなんだ?

当たり前に使ってるけど
説明しろと言われたらどう?

難しいよね…

ちょっと
辞書調べる前に
自分で考えてみようかしら

ただ一つだけ
条件を設ける

これは
主にエンタメの作家
エンタメを享受する人々
における教養について
であるということ

学者においては
下手なことはいえないから
伏せとく

まず自分なりに考えて出した
とりあえず現段階での

結論から話そう

“出会った事象や
作品の奴隷にならず、
能動的に考え、
自分だけの回答を探すことを楽しむ人“

だと思う

以下、数行は
とりあえず
繊細な方は読み飛ばしてほしい
ゴスゴスに刺される方もいるだろうから
やたらと余白が開いてる場所が二つ目になったそれが終わりの合図です







昨今の映画やアニメを見る人は
やたらと「伏線回収」を好む傾向にある
そして
問いかけとしてあえて回収されなかった伏線に
なぜか怒る

伏線回収が秀逸でないと
ダメな作品のようにあつかう

こないだ映画を見た後
喫煙所でやたらと
伏線回収って言葉を何発も連発する女性がいて

しゃべり方も何かと攻撃力高めだったので
ちょっと気になった

あなたの映画や作品に対する
大事な哲学が伏線回収ならそれでいい

何も言わない
もしそうでないのなら

少し作品に対して
自分へのわかりやすさを
求めすぎてはいないか?

それは少しばかり
作品に対して
自分に都合のいいことを
求めすぎではないか?

と思ってしまう


あんときの
納言みゆきちゃんの上位互換みたいなねぇさんよ
ごめんね
きついこといったかも。。

そんなに真摯に向き合う必要はないよ
教養なんてなくても
あなたなりで向き合っていていいからね







ここから
繊細な方目を開けて大丈夫よ

そうよ
私が
ハーマイオニー

…スゥ…

グレェンジァ…

俺は
映画や作品というものは
出会ったこと自体が伏線であって
その伏線は自分の人生で回収していくものだと思っている

その時はよくわからなくても
生きてる中で
あの時のシーンのあれが分かってくる

それが一番芸術を教授する喜びだと思う

その経験を繰り返せば
見た後に理解できないあの行動は何だったのか
そういえば私にもそういう感情に近しいものは
あるよな
と考えれるようになる

こんな風に

自分の生活
身の回りの人間


と結び付けてみて
共感とはまた違う

人間存在というものに
そういうこともありうるのか

ではこの事象にも似たものはあるのでは?

おぉ!

全く関係ないと思ってたものが
なんかつながったぞ!

こういう風にも考えれるのか!



作品を見た体験に対して
能動的に思考を巡らせ
その道中で拾った経験を
自分の血肉として栄養として蓄えれる人

そんな人を教養のある人

だと思う


こういうと
知識を持っている
沢山作品を見ている人なんじゃないの?
と思われるかもしれないが
そんなことはない

びっくりするくらい沢山
知識はあるが
それに対して
熱いねー
アートだわー
で片づけて

作品に対して自分の言葉で語らない
人間はいる
知識は蓄えても
コレクションとするだけで
そこに対して受け取ることだけで満足をして

自分の血肉とさせていないように思える

もう一回ごめん
毒吐く独白やる







セレクトショップのアパレル店員にそんな人多いんです…

アパレルで働く友人が

「服は好きやけど
服好きなやつにしょうもないやつ多すぎる」

って言ってて

それをかみ砕くと
上記のようなことなんだな
と今書きながら思う

彼らは教養があると思い込んでいて
その知識を誇りに思っている
かもしれないけれど

その態度は教養があるとは
思えない







もーいーかーい



もういーよー

はい

ゆうてますけどもね

つまり
作品に対して能動的に考え、
受け売りの言葉ではなく
自分だけの体系化を図り
考えられる人だ

ただここで言っておきたいのが
語彙力がある人という意味ではない

言葉は上手でなくても
俺が思う教養のある態度というのは
伝わってくる
喋らなくてもその場の立ち振る舞いや
相槌なんか
なんとなくその教養の深さは
伝わる

何を語ってるか
何を見てるか
何を知ってるかではなく

どう見て
どう考えて
どう受け取っているかだと
常々思う


ちなみに
ニガミ17才のボーカルの岩ちゃんは
最近まで全くオアシスとかニルバーナとか
全く聞いてこなかったらしい…



口下手で言葉が苦手でも
あなたの教養ある態度
きっと誰かに伝わり
何かを教えることができる
そして
それを感じ取れる人には
きっと
必ず出会える


魂は引き合うから

つまり作品や事象に対して
謳い文句や
誰かの評に流されずに
能動的に自分だけの

???

に向き合っている人のことだ


どうだろう?

個人的に少しだけ
教養って何かを考えれたと思う

もうひとつ言っておきたいけれど
Twitterなんかで
教養がないからこうなんねん
と怒ってる人ダルい人を
見かけるが

全ての人に
教養がないといけないとは思わない

みんな
芸術について深堀できるほど
暇ではないでしょうから
(おいらも暇ではないよ?)
教養のある人が何かを教え合って
いけたらいいと思う

ちょっと下手くそだったかもしれないけど
俺が考える教養
それがあると
もっと芸術を楽しめるようになるよ
というお話にしました



じゃあ

教養という単語の意味を
Googleに聴いてみよう

手短にwikipedia

教養(きょうよう)とは、個人の人格や学習に結びついた知識や行いのこと。これに関連した学問や芸術、および精神修養などの教育、文化的諸活動を含める場合もある。

出典「wikipedia」

なかなか近しい?
かしら?

他にも色々見てみたが
やっぱり色んなネット辞書が
色んな定義をしているが
おおむね
近しかった

やっぱり難しいのだな
これもまた

能動的に考え
自分だけの教養の意味を探り続けろ
ということなのだろう



その中に
「謙虚であること」
というのがあった

お、おぅ…

謙虚…

か…

ふたつほど
毒を吐いてインターネットにまた
垂れ流したわたくしは…

謙虚といえるか…

うむ…


大敗だ!

わたくしも
まだまだのようだなぁ!

精進します!


ってな感じで
私そして
読んでくれた皆様
おつかれしたーー!



今日も読んでくれてありがとう









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