緊急記者会見
年々遅くなる金木犀の開花も盛りを過ぎ、はや十月が終わろうとしています。
さて、剣呑な趣もある今回の表題。
本日は大変お忙しい中、記者会見にお集まりいただきまして、ありがとうございます、と
型通りの挨拶から始めるのはいささか不親切です。
本題に入る前に少し経緯のご説明。
フォロー頂いている方にはもう周知のこととは思いますが
私がたいへんお世話になっていますnoterのChappyさん。
(noteでお付き合いのある方の大半が、Chappyさん由来のご縁です)
ありがたいことにnote用のイラストをご依頼頂きました。
そして、全くもって面映ゆい!・ありがたい!・恥ずかしい!ことに
ただいま連載中なのが「メイキング・オブ・マイnoteページ」と銘打った制作経緯のあれこれです。
作ったものも、その過程も、
すべて手放しで喜びお褒め頂くこの特集記事!
コメント欄を埋め尽くす皆さんの温かいご意見・ご感想に
ありがたや!とひれ伏しつつ、
手に入れたばかりのスマホで毎朝(Chappyさんは非常に筆まめなのです)
変な汗をかいて拝読しています。
そんな中、一報が入りました。
「コメント欄でちょっと騒がれていますね」by Chappyさん
やや、すわ炎上か!
と、急ぎ現場に馳せ参じる。
コメント欄を読み進めていくと、様相が明らかに。
まず一石を投じたのがannonさん
続くKeigoMさん
極めつけのフランネルさん
ウサギの目がある原案
ウサギの目がない最終下図
あいつぐ「何故目がないのか、原案ではあったのに」
(そんなことになっているとは露知らず、呑気にウサギの小さい絵を描いていました)
おぉ、これはひとつ説明の場を設けねば!
というのが今回の緊急記者会見のあらましです。
結論から申し上げます。
描いている本人も全く気が付いていませんでした。
「皆さんに指摘されるまで、それに気づかなかった」と仰るChappyさん。
私もです。
「いや、そういうことってあるんですねぇ。」
「鑑賞してもらうことでその絵の世界って広がりますね、いや、イイ話だ」
そういう感じで終わっても素敵だと思うのですが
ご足労頂いた記者の皆様にそれこそ申し訳が立ちません。
ひとつ、制作中の心の動きを思い返してみました。
とはいえ、深く検討して目をなくしたわけではないのです。
もちろん描き忘れたわけでもない。
描いている最中、目を入れることは全くと言って良いほど頭に浮かびませんでした。
それは何故なのか。
やはり「デザイン」というのが大きかったように思います。
スマホのような小さな画面でも見やすい色と形を考えた時、
「形を切り出す」ことに意識が向きました。
私の中でそれは
ステンドグラスであったり、切り絵・影絵であったり
蒔絵や錺金具といったものを想起させました。
結果としてヘッダーもアイコンもポップアップも
全て「シルエットとしてどう見えるか」に寄せて描き
とりわけヘッダーは「金具」寄りのイメージで仕上げたために目が入らなかったんですね。
原案のウサギに目が入っているのは
まだ少し「絵画」の気分が入っていたのではないか、と思います。
どうやら私の場合
「デザイン=目を入れない」「絵画=目を入れる」
この傾向にあるようです。
やはり「目」は、かなり強いメッセージ性を放つアイテムだと思うのです。
学生の頃は超巨大な顔面(眼力!)の作品も何枚か描いていました。
目を入れるときは、もう自分の中でメッセージが決まっているから、
だから
使ってもらう「デザイン」には入れられなかったというのがスッキリした説明かもしれません。
『シュタイナー教育の人形』とはまさにそうで
見る人に「目」を委ねる方向で今回着地したということですね。
もしも「こういう感情を」「こんなメッセージを」というご要望が出てきたなら、自然と目を入れるような気もします。
さて、これにて今回の釈明会見はお開きです。
長々とお時間頂戴しましてありがとうございました。
ご意見・ご感想、
説明になっていないぞ!逃げるな!などの追及、
ご指導ご鞭撻ございましたら
なんでも承りますのでコメント欄にどうぞお願い致します。
Chappyさんの連載、今後はアイコン・ポップアップ、締めの一言へと続きます!
どうぞお楽しみに。
おまけ
楽しみのままに書いていることばかりですが、何かしら響きました時や励ましなどのサポート、ありがたく頂戴しております。いただいたご縁を大切、よりよい創作・交流にはげんでまいります(*’∀’)