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ゆっくり、ゆったり、という時間のありがたみ。

私にとって、ゆっくり、ゆったりのペースはちょっと苦手で課題でもある。どちらかというとせっかちで、サッサと済ませたい、早く結果が欲しい、慌ててしまう、焦ってしまう方の人間。

でも最近は、疲れているときほど、家事をするでも何をするにも、あえてゆっくり丁寧に、を目指す。疲れてるから早く済ませたいと急ぐと逆にお皿を割ったり、書類を見落としたり、探し物にも何倍にも労力がかかってしまう。結果、心にも体にも変な負担がかかるのだ。

不思議なもので、「急がば回れ」というように、「ゆっくり、ゆったりいこうよ」と自分の心に言うだけで、ことがスムーズに進む。ゆっくり、ゆったり=丁寧=納得=充実の図が出来上がる。


またゆっくり、ゆったりの時間は、もう少し長いスパンでとらえると、人生に豊かさや滋味を与えてくれる。

長い人生の中では、病気や介護、死別、就職、進学等、様々な場面で、強制的にストップがかかるときがある。こんなはずじゃなかったのに‥‥ということが

そうなる意味は、人それぞれ、単にからだや脳や心が休みや癒しを必要としているのかもしれないし、一旦立ち止まることで、今までの経験の意味を振り返り、理解し、生き方の見直しや足元を固める時間を作る必要性を知らせてくれているのかもしれない。

今、進もうとしていることが、本当に自分が望む道なのかを再確認させてくれるような場合もあったりする。

忙しさの真っ只中にいると、どうしても、自分の道や生き方、考え方はこれ一本だという思いに固まってしまったり、心がかたくなになりがち。

そこで、あえて自分の体や脳に、ゆったりした時間、余白を入れると、視野が広がり、自分とは違った考え方や生き方の違う人に出会うことができたり、情報を得られたりして、自分の思い込みから自由になれ、世界が広がっていったりすることもある。

ゆったり、ゆっくりの時間は、体の休息だけでなく、一時的に頭を空っぽにし、思考を休めることで、思わぬ副産物を得られたりするのだ。


こんな記事も見つけました。


あえてゆっくりと、今いる場所から離れる旅をする。

鬼才デヴィッド・リンチ監督が作った「ストレイト・ストーリー」という
ロードムービー。73歳で腰を悪くした老人が、長年険悪だった兄が倒れたという知らせを聞いて、アメリカ・アイオワ州からウィスコンシン州までの訳560kmの道程を時速8kmしか出ない草刈り機に乗って兄に会いに行く。途中で出会った人が親切で車で送ろうとすると「わしは、この旅を自分のやり方で終わらせたいんだ」。僕はこのセリフで、そうかすぐ会えばいいってもんじゃないよな、この面倒な時間をかけて氷を溶かしていく必要が
自分の中にあるんだな。この時速8kmの旅でゆっくりわだかまりを消していけば、子供の頃のように一緒に星を見られるようになるんだなと思いました。

&Me-time
クリエイティブディレクター高崎卓馬

自分の苦しみやわだかまりを受け入れたり、許し、癒すにも時間がかかる。
また、人の苦しみ悲しみの意味を知り、受け止め、理解するにも時間がかかる。


今の世の中、ヘタをすると矢のように変化していく情勢や、人間関係、あふれる情報の波にのまれ、溺れそうになるけど

そんな時こそ、あえて、ゆっくり、ゆったりの時間をとり、自分をとりまく景色(状況)を冷静にながめたり、足元(基盤)を確認したりして、それこそ「ゆっくり、自分を見つめ直す」ことが必要なのかもしれません。

そのように考えると、強制的に人生のストップが入る時期や時間は、その時は、もどかしく、腹立たしく、苦しく、まわり道をしているように思えたとしても、これからも長く続いていく未来を考えると、実は「本来の自分を取り戻す」「様々な価値に気付いていく」という貴重な時期、時間なのかもしれないと思うんです。










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