言葉が捻じ曲げられる過程。

ゼミで、あるコンサル会社の方がゼミ担当教授と意見交換するという機会があり、私たちにも拝聴する機会を設けていただきました。

内容は、教授の専門分野であるベーシックインカムについてでした。
あまり内容を漏らしてしまうのもコンプラ違反というか、そういった注意はされてないんですけれども、細心の注意を払って執筆していきます。

企業様はベーシックインカムについてかなり勉強されているのがわかるようなプレゼンでした。世界各国でのベーシックインカムの実施状況を、ベーシックインカムの特性を6つの要素にわけて分析されていたり、私も新たな知見を得ることができました。

が、肝心のプロジェクトの内容。ベーシックインカム的な給付と仰っていましたが…社会事業を起こしたいアーティストに限定した給付みたいな内容だったんですよね。

ベーシックインカムとは、直訳すれば「基本的所得」ですから、どんな人にも一律で給付されるものであるべきなんです。ベーシックインカムの理念で最も重要なのは、「無条件」「限定されない給付」という点です。その条件が困難なわけですが。

今回の企業様のプロジェクトに関しては、全くやってることがベーシックインカムと関係ない。と言わざるを得ません。やってることはただの人的資本に対する投資です。ここでの「ベーシックインカム」は何と言いますか、ミーハーな、流行に乗っかっとくかみたいな印象しか受けないんですよね。選択して給付、しかも応募者からより優れた理念を持った人々への給付って、選民思想的なやり方、ベーシックインカムと相反するまである。

この現象、SDGsとかでも起きてると思います。そもそもの理念が形骸化してしまっている。ベーシックインカムもSDGsも、市場を拡大するための広告塔にされてしまっているわけです。

なんてことを、企業様に面と向かって言えるわけもなく。そんなこと言ったら場が凍りますよ…ゼミ終了後に教授に感想を伝えたら「言ってみたらよかったのに(笑)」と仰っていましたが。(苦笑)

さて、みなさんはどう感じましたでしょうか。少しポリコレっぽい印象を感じた方もいらっしゃるかもしれません。
言葉も普及していく最中に意味合いが変化していくことは承知していますし、必要なことだと認識しています。しかし、言葉の中心にある理念、哲学とでも言いましょうか。そこを捻じ曲げてはいけないと思うのです。

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