これだから自己コントロールは難しい

今日も今日とてぼっちな29歳男性な私の徒然日記、3回目です。

まず始めに、私のnoteをお読み頂いてる皆様に御礼申し上げます。

noteを始めたきっかけは仕事でのストレスでした。
今の会社は勤めて6年目になるのですが、昨年くらいよりスポーツ等の趣味から自然と遠ざかってしまい仕事ばかりの生活になっていました。
私の中にあった柱が、いつしか仕事だけになっていたのかもしれません。
なのにその仕事でストレスを強く感じてしまったのですから柱はぐらぐら、私のメンタルもぐらぐらです。

そんななかで突如私の中に湧いてきました
「そうだ、〇〇をしよう」
という気まぐれなのか防衛本能なのかよく分からない衝動。
これがnoteデビューのきっかけです。

おかげさまでとても多くの方にお読み頂き、いいねやフォロー、中にはコメントまでして頂ける方もいらっしゃり、本当に嬉しく思っております。

よく言われる話かもしれませんが、大人になるとあらゆる事を
「出来て当然」
とみなされて結果の質を求められることがやはり多いので、褒められたり評価されることは少なくなっていってるような気がします。

それなのに、大人になってからされる数少ない「褒められる」「評価される」には、大抵面倒くさいものが付いているような気がします。
「褒められる」なら、おべっか、関係性の維持目的、あるいはからかい。
「評価される」なら、出世、周囲からの一方的な期待、あるいは嫉妬。

こんな面倒な大人の世界ですが、だからこそnoteで皆様から頂けるいいねやフォローには、面倒くささのない純粋な温かみを感じる事が出来るのです。

しかし一方で、こうやっていいねやフォローを頂くと、自己評価低めなくせに調子に乗りやすい私はついついこうも感じてしまうのです。

「あれ、実は俺、書く才能あるのかな?」
「よし、次はもっといいものを書いてみよう。」

………はあ。
なんと単純……なんと浅はか……
そうじゃねえだろう…
なんで私はこうもすぐに調子に乗ってしまうのでしょう。

せっかく仕事以外の趣味としての新しい柱が出来上がろうとしてるのに、自分に過信して思い上がって躓いたら、自分の中の柱が全て倒壊してしまうかもしれないじゃないか…

「柱は自分を支えてくれるものだけど、柱に依存してはいけない。」
「それは得てして、手段と目的が逆転してしまう現象と似ているのかも。」
「私はあくまで自分のために、自分の趣味のためにこのnoteを利用しているのだから。」

こんな風に自分に対してブレーキをかけながら、私は今日もこの記事を書いております。

なんか、自分で自分を追い込んでいる様な気がして大変呆れてしまうのですが、そんな私が書く記事で少しでも多くの方が面白いと思って頂けますと、これほど素晴らしいことはございません。

今後とも皆様と、細く長くなお付き合いをして頂けたらなあと思う次第にございます。


………これだから自己コントロールは難しいです…。

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