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たった1人、味方がいれば

 たった1人でも、味方になってくれる存在がいれば、人は強くいられると私は思う。

昔から不器用だった私は、得意と言えるものが何もありませんでした。母親にもよく、「あんたは何をやらせてもダメだね」と言われるほど、特にスポーツや物づくりなんかは、人一倍苦手だったと思います。

「まぁ、自分はどうせ何をやってもダメだし」

いつからか自分でもそう思うようになり、何かに挑戦をしようとしても、やる前から諦めたり、嫌々やっていたりと、本気で取り組んできた物事はこれまでの人生でごくわずかだったかもしれません。ただ、そのなかでも、文章を書くこと、特に物語を書くことは昔から大好きでした。書いてはやめてを繰り返してはいましたが、小学生の頃から小説を書く真似事をして、パソコンを買ってもらってからは、ネット上の小説サイトに作品を投稿するようになっていました。

「いつか、書籍化できたらいいな」

そんな淡い期待を抱いてはいたものの、どこか夢心地で、これまでに一度も公募へ作品を応募をすることや、出版社へ持ち込むことはせず、のらりくらりと書いているだけの日々を送っていたんです。

 28歳の時、付き合っていた彼はどんな時も私のことを肯定してくれるような人でした。
「小説を書いていて、いつか書籍化したいんだ」
そう打ち明けた時も、「楓花なら絶対できるよ」と、何の疑いもなくそう言ってくれました。

そんな彼と結婚を決めてすぐ、彼が肺癌であることが分かりました。当時、彼はまだ32歳。ステージ3、余命半年。
「青天の霹靂とはこのことか」
そう思ったのを、今でも覚えています。

とりあえず、結婚は延期にして治療に専念しよう。2人で話し合って、そう決めてから、彼は何の弱音も吐かず、ただ病気を治すことだけを目標に治療を続けていました。

それから、3年の月日が経った2021年10月。
陽子線治療のため、彼は地元から車で5~6時間離れた場所にある総合病院に入院をすることになりました。
その頃の彼は、気管あたりに腫瘍が転移し、痩せ細ってはいたものの、普通に会話もでき、自力で歩ける状態でした。当時、コロナ禍真っ只中だったこともあり、病院の面会は禁止。仕事もあったため、私は彼と連絡を取りつつ、地元で帰りを待つことにしたんです。

ちょうどその時、私は小説サイトのコンテストに応募するために、長編小説を書いている最中でした。いつものように、彼と雑談がてら連絡をとっているなか、「このままじゃ〆切間に合わないかも!」という私に対し「楓花ならできるよ。絶対大丈夫」そう返信があった後、突然彼からの連絡が途絶えたんです。

突然のことに不安を覚えた私は、翌日彼の入院している病院に連絡を入れました。
ただただ、陽子線治療のために入院をしていただけのはずなのに。
電話が繋がれた先はICU。挙句の果てに、家族ではない「婚約者」という立場の私は、病院のスタッフの方に彼の状態を教えてもらうこともできませんでした。

「何があったか教えてもらえないのなら、せめて生きているかどうかだけでも教えて欲しい」
泣きながらそう懇願する私に対し、担当医は細い声で「生きてはいます」と、本当にそう一言だけ言って、電話は切れました。
その10日後、彼は亡くなりました。享年35歳でした。

そこからの日々は、言葉では言い表せないほど、地獄のような毎日でした。
私も死にたい。早く死にたい。生きるのが怖い。生きていたくない。

唯一、自分をまるごと肯定し、認めてくれた彼という存在を喪い、24時間四六時中「自分はこの先、なんのために生きるんだろう」と自問自答する生活を送っていました。ただ、そのなかで、書きかけだった小説だけは無理矢理完成させ、〆切の1時間ほど前に投稿した記憶があります。

もちろん、そんな状況で書いた作品だったこともあり、結果は惨敗。……いえ、たとえそういった状況下ではなかったにしても、あの頃の私には入賞できるスキルなんてなかったと思います。

それでもその時、私は自分に誓いました。
「もう自分には文章を書くことしか残っていない。彼が信じて応援してくれた小説を、これからもずっと書き続けよう。絶対に書籍化の夢を叶えよう」、と。

そこからは、副業でシナリオライターの仕事を始め、本業も転職をして、それまでとはまったく違う人生を送るようになりました。
最初は、ただただ日常で何もしていない時間が辛くて、義務のようにやっていたシナリオライターの仕事も、今となってはかけがえのないやりがいとなっています。ライターを始めてから出会うことのできた人も数え切れないほどいて、尊敬する人も増え、文章が繋いでくれた縁は一度は見失った自分の生き方を照らしてくれる産物となりました。

 ここ数年のことを他人に話すと、よく「強いね」と言われます。
その度に私は自分の強さについて考えるのですが、どうもしっくりこなくて。自分で自分のことを強いと思ったことは、一度もありません。もしかすると「強くなりたい」と願ったことすらないのかもしれない。

だけどもし、端から見て強さを持ち合わせているように見えるなら、それはどんな時も私を肯定し、味方でいてくれた彼の存在があったからだと思います。
親でも友人でも恋人でも、たった一人でも味方がいれば、自分を肯定し、信じてくれる存在がいれば、きっと人は強くいられる。さまざまな経験を越えた今、そのように思うんです。

現在は本業と副業の傍ら、文學界新人賞に応募するための小説を書いています。彼が亡くなった年齢と同じ、今年で35歳となる今、遅すぎるスタートかもしれませんが、やっと自分を奮い立たせることができました。

「〆切に間に合わないかも!」と弱音を吐ける相手はもういませんが、これから先なにがあっても、私は私が掲げた目標のために、諦めず夢を追い続けようと思います。


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