双極性障害なので、ふにふにと生きていくために自己紹介を書いてみる

新しい勤務先に来たばかりなので、自己紹介を求められる事が多い。
その度に、何をどのくらい言えばいいのか迷う。
とりあえず、東大を出ていることは上司以外には伏せている(上司は履歴書を見ているため隠す意味は皆無である)。妙に期待をされてハードルが上がるのも、そのハードルをぶち壊してがっかりされるのも面倒だ。
東大を出ている、は説明を省くのに都合がいい面もある。人並み以上の理解力があることは伝わるからだ。裏を返せば、理解力以外のものは私に限っては何も無い。
コミュ力も無ければ、体力もない。

追い打ちをかけるように、うつ病と思われていた持病が、双極性障害だったことがわかる程度に悪化した。
毎日フルタイムで働き続ける体調を維持する難易度が、常人の10倍あると思ってもらうといいだろう。
夏の日差しで躁転し、うまく眠れず躁転し、楽しい仕事で躁転する。
躁転すると元気になりすぎる。というと悪いことではないようにも聞こえるが(そして、本人の体感としても快い気分になるので嬉しかったりもするのだが)、余計なことを、しかも生活が成り立たなくなるようなことを仕出かしてしまうのもこの時期である。
たとえば、収入に見合わない浪費。

そして、躁転時のエネルギーは前借りであるので、その帳尻合わせの時が1月ほどでやってくる。
症状が鬱側に転じるのである。
ある時、急に起き上がれなくなる。人と関わるために必要な最低限の自信さえ失われて、会社に病欠の連絡を入れることからも、誰かに助けを求めることからも逃げてしまう。
私にとって躁転は、社会人として首を繋いでいきたいなら、なんとしても避けなければならない事象でしかない。
そのために、毎夜毎夜、何種類もの薬を飲んでいる。処理する肝臓は大丈夫か不安になる。

つまり、社会人としてほぼ致命的にポンコツな私は、障害者雇用という配慮された職場に、時短勤務という配慮された勤務時間にて、ようやくふにふにと社会生活を送ることができているのである。
はきはきと社会生活を送ることは私には許されない。それは躁転を引き起こし、ようやく手に入れた障害者雇用の場すら失うことと同義である。頑張ることは、私の持病の害でしかない。
頑張れる事だけが取り柄だった私には、正直なところ、歯がゆい。

理解力以外はポンコツな私ではあるが、病気が本格化する前は頑張れば大概のことはなんとかなった。
今は、羽根をもがれたような気分で暮らしている。
あるいはその「頑張り」は、生涯の中で使える元気の前借りでしかなかったのかもしれない。

そんな私を支えてくれる家族がいる。夫である。
私の親とほぼ同年代の彼は、お互い辛い時に支えあった戦友でもある。
私が仕事を休みまくっても、訳の分からないことを喚いて家出をしても、収入の当てもないのに出費をしても、体重が1.5倍になっても、見捨てないでくれるという仏の心を持った男である。
コミュ力に優れ、マルチタスクを嬉々としてこなし、仕事をしながら家事の大半を請け負ってくれる。特に料理と掃除。
収入は少ないけれど、生活していけなくはない。そんな、どちらかが大病にでもかかれば(私は既に障害者手帳が必要なほどの病気ではあるが)崩れてしまいそうなバランスの上に今の生活は成り立っている。

そんな私が、頑張らずふにふにと生活していけるように。
たまに文章を書いて自分を見つめ直してみても良いかもしれないと思い立ち、noteを初めてみた次第です。

ここまで目を通していただきありがとうございました。

この記事が参加している募集

自己紹介

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?