山生みの親子 / 第一章:山生みの親子
山生みの親子は別に本当の親子ではない。
山生みの親子はこの日も山の中にいた。毒林檎の種を大量に携えながら。
山生みの親子は特に会話をしなかった。特段する必要がなかった。言葉が必要なら彼らは交わしただろう。それほど今日の山道は日常の一部であった。
その山を知らない者にとってその道は長く険しい物だったかもしれない。
山生みとして生まれた男は最早老人である。子供の手を引くこともなく、自分のペースで歩いてい、子供はそれについていく。
群生した広葉樹の道が開けたところで山生みの男は立ち止まった。まるで広場のようなその場所には獣が横たわっていた。
山生みの男はその獣が生きていることを危惧した。寝ているだけかもしれない。急にこちらが音を立てたら襲いかかってくるだろうか。
しかし、子供を連れて歩いていたことを思い出す。子供がいる時は、山道を踏み抜く音を限りなく無くすことは難しかった。もちろん子供は老人の歩みを真似ているつもりではあったが、そこまでの技術に達せてはいない。
つまりこちらが油断した足音を立てていた(だろう)にも関わらず、この獣は注意を払っていなかった。つまり弱ったため横たわっている。あるいは既にこの世の者ではなくなってしまった。
老人の男は鋭利な枝を横たわったそれに向かって突き刺さるように投げつけた。果たしてそれは獣の外郭を突き破り、肉に達したようだった。
*
獣の遺体を前に、子供は他の動物たちはどこに行ったのだろうかと考えた。群れを作る獣同士で死んだ仲間を食ったりしないのかと考えた。老人は子供にこの死体は老いていると伝えた。俺よりも老いている。
群れからはぐれると、それが老体や子供だったりするなら、割と死に近づくのだと子供は教えられた。子供は身体が小さく、老体もまた身体が小さくなっている。成獣が生き延びやすいのは単純に自分の身体が大きく、自分の身体の内部で自分の身体を食って生きながらえる仕組みがそれら以外よりも長く持つからだ。
そしてそれは俺たちも同じだ、と。俺たちもはぐれたら死にやすいだろうと。俺は山の知識があるから数日は生き延びれるかもしれないが、お前はそうはならない。お前は早く大きな体になりたいことだろうな、と。
子供はそれについて考える。確かに身体が大きくなっていたほうがいざという時に生き長らえるのかもしれない。でも大きくなった身体をコントロールするという感覚が子供には上手くイメージできていなかった。山生みが山から持ち帰る山の創造物の一部を子供も背中に背負ったことがあるが、その時の歩きづらさを思い出した。
成長するということはあの重みが身体にのしかかってくるということ。自分の足でそれが支えられるのか、子供にはわからなかった。
▼次回
透明組曲
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▼謝辞
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