気持ち悪い日本語=note
noteという単語が気持ち悪い。ヘッダ画像をお借りしています。
このニュース見てまた恥ずかしい日本語といいますか……声に出したくない日本語を思い出した。
要約すると
そういえばぼくはnoteという単語がなんか知らないけど好きではないことを思い出した。別に「字を書く紙集」というメディアが嫌いなわけではない。だったらぼくはルーズリーフやバインダーも嫌わねばならない。その響きだけがなんだか気持ち悪い。なぜこのプラットフォームを今ぼくは使っているのだろう。よく使う気になった。
DEATH NOTEを読んでいたときも苦しかった。ノートて……と思いながら読んでいた。日本の出版社が造った(?)文房具がファンタジーといいますかそういうのを超越した神々的存在が逆輸入してる感じがなんか厳しかった。殺したい奴の字を書いて、消しゴムで消せば生き返る一連のシステム(パイロット版)にもその気持ち悪さからくる、説明できないすっきりしなさを感じながら読んでいた。
この
「の」
と
「ー」
と
「と」という3つの音が重なると途端に気持ち悪くなるわけだ。なんでなんでしょうね?でもここに書いてないだけでそういう単語が異様にある。これはもう生まれ持ってしまったものなんでしょうか……
でも英単語にはあんま思わない。そんな話せないけど、ああでも……日本の戦国時代?のボスが占める時代だか幕府のことをShognateとかいう英成和語にしたのはなんか将軍という単語を知っているだけに気持ち悪かった。別に全部英語式の記述にしてくれていいじゃん、と。
発話したくないわけです。なんか……嘘を言っているというのとはまた違うようだが……本来の自分ではない……その言葉が存在する世界軸に俺はいるべきではないのではないだろうか?本来その物体を指す単語があるんじゃないか?と思う。たとえば……すでに使われてしまっている単語だがサマリーとか。
何も書いてない紙集のことをサマリーと呼びたい。意味的にも少し近いところがあるから想起されたのかなんなのかわからない。
冒頭の高校生の話には教育の限界を感じる。当該教師は一生懸命明日の授業の準備をするタイプなのだろう。そして、自分の「程度の低い」書いた内容を生徒に書かせることを脳死で踏襲し、そんな評価軸で生徒に通知表をやってしまう悲しい男なのだ。俺様が課外で一生懸命(その後の人生で何の役にも立たない)書きを作ってやったのだ。俺に感謝をし、俺様の書きを書き写せ。そして貴様らがきちんと俺様の言うことを聞いているか確かめてやる。お前らが企業に採用されたら俺よりクソみたいな要求をしてくる奴らの言うことを聞く羽目になるから、今その下準備をさせてやっている。俺に感謝しろ。そういうカスが教育の現場にもいくらでもいる。
戦時中とか「とにかく上の命令に下を従順に従わせる腐ったそれ」が必要だった時は確かに、教員ごときが書いた内容をそのまま書かせることが教育の基準になったかもしれませんね(現代においては生きる価値がどこにもない、カスでごみ以下の政権だったのだろう)。
だが今の時代にそんな腐った評価軸が必要か?それを考えれば自ずとこの生徒が正しいかどうかなんて考えなくてもわかる。
あるいは政府に不利な証言を意図的に封殺するような権限を勘違いした連中が構成してる、職権乱用どころか機能不全が当たり前の政治状況だから時代にはあっているのか?
気持ち悪い。
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