見出し画像

こと消費とはもはや購買行動ではない

昨日はここ数年蔓延してしまった「消費行為に推薦を伴わせるマーケティング」がこと消費であるから、施しの記録などつけるもんじゃないのではないだろうか?と思ったんですが……そもそもこと消費であるなら、「消費した瞬間に目的が達成された」といえることに気がついてしまった。ヘッダ画像をお借りしています。

つまりそのこと消費がどのような内容であっても、例えばTinder詐欺みたいな内容であっても、それ自体が思い出発生活動である。思い出を発生させる、思い出となるほどの行動体験を喚起できる行為が金ごときで実現できるのであれば、そんなんいくらでも投資するに決まっとるわ、と。

むしろ投資などと思わない。その体験をするための通過儀礼として財布からいくらかの札を失うのだ。Tinder詐欺とはぼくも映画で見ただけだけど、女の人側からみたものすげーいい男が話しかけてくる。好きだと言われ、でも遠隔地にいるから(遠隔地にいることを不自然だと思わせない状況はTinderという特殊な場が可能にしているのだろう。責任の所在はともかくとして、詐欺を発生させる土壌の形成に一役買っているといえる)すぐには会えないのを折り込み済みで、じゃあいつか会えたらこういうことをしよう、どこに行こうみたいなことを話し合うことでさらに愛を深める。

そして今日何があった、こんな職の業をしているからこんな目にあって散々だった、と期待値を上げさせる。ああ医者なんだな、わけのわからない患者の妄言に付き合ってあげたんだな、金を持っているという状況証拠が揃ってきたな、状況証拠の林立とは信憑性の高まりを意味し、ますます期待値がぶち上がってきたな、と。

そんな中で男が困った、という。その「困り」とは、実現できないと男側の今後の人生を左右する内容だ。その困りを解消するにはまとまった金がいる。そしてこれはすべてが嘘であり、このまとまった金を女側から送金されれば目的は達成されたことになり、男側はアカウントを消してすべての取引は終了状態となる。

困りの内容はマジで何でも良いだろう。なんか国外で治療しに行ってたら口座がうまく使えねえから臨時で貸してくれない振り込んどいてとか、家族が重大な病気になって渡航費がいるだのなんでもいい。そしてこの大嘘が深刻なものであればあるほど、騙された女側は「役に立てた」という思い出を手にすることができてしまう。となれば金銭授受の度合いなどもはやどうでもいい。むしろ金銭の大きさがでかければでかいほど、そいつの人生に自分が深くぶっ刺さることができた、とか思えてしまうんじゃないでしょうか。

つまりこと消費である。この相手側からの願いを”自分”がかなえてやれた瞬間にとんでもない承認欲求なり庇護欲?なり母性?なりそれ系のとにかくいろんなやーつが満たされることになり、めっちゃ思い出に残るほどの行動体験となる。思い出を金で買った。「金で買った」という事実は割とどうでもいいのだ。その過程がたとえ、信じられない努力をして、くそでか岩をどけなきゃならないとかのミッションであったとしても女側はどうでもいい。

今たとえが悪かったので、そのくそでか岩をどけるために金が必要だったら金を出すでしょうね……それはいいとして、こと消費とはもはや”購買行動”ではないわけです。やる側からしたら。もちろん受ける側からしたら、ものすんげえ購買行動です。まんまと買いやがった、と。だから何度も例示したくないんですが、「好き」じゃなくて推薦という言い方をしろ、というこの2020前後から蔓延してきた感じ(最初は確か2015前後のアイドルのファンのそれだった気がするのだが……)はこの「こと消費を売る側」の一部がまるで地獄の亡者のように推進してきた。また推薦のすいという字が出てくる。もういやだ

もちろん、こと消費をおしすすめる側すべてが亡者だというわけではない。しかしながらファン活だのIP商売まわりのそれは消費者の、ターゲットの「純粋な心の動き」を、とにっかく金の匂いを感じさせないように感じさせないようにしながら「必ず」「確実に」財布から金を引っ張り出す。

つまり現代のマーケティングに於いては、こと消費を購買者側に購買行動だと思わせてしまったのであれば、そのマーケティングは”オワ”なんですね。これまでのこと消費とはものより思い出とかそういうコピーにもあったように、このくそでか車を買えば家族と休日に行く場所の選択肢が広がるやで?的なものでした(ちっせえ車をステップワゴンに買い替えようよ、モールや焼肉屋に行くだけじゃなくてグランピングとか渓流とか行けるようにしようや)。

こと消費の様相はかわり、「貢献していると感じれる権」という、こと消費自体を即時に体験させることで容易に消費者の財布を自動金おろし機化することに成功している―――という言い方は言い過ぎだろうけど、すべてのIP商売の中にひとりもそんなことは思っていませんよみたいな純粋なお花畑な観点による感想を言い切りたくはないぐらいの商売っ気を感じるのが2023のコンテンツ市場ですよね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?