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晴れない想いは、ものづくりへの真髄

先日、悲しい訃報が飛び込んできました。
漫画家芦原さんの自死のニュース。。
尊い命が失われたこと、とても哀しく響いてしまって、心は晴れない。

Xでことの成り行きを見守っていた経緯から、とてもやりきれない思いでいっぱいです。漫画家としてただただ、一途に取り組んでいただけなのに。。


誹謗中傷は怖い。
特に繊細な心を持つものにとっては、そう簡単に”気にしなければいい”というレベルではいかないのです。
ましてや、自分の作品がぞんざいに扱われて、自分の意図するものではないものが出来上がってしまう責任を、一心に受け止めていたのではないかと。

繊細な人間とそうでない人間。
同じ出来事でも、受け取る深さが違います。その衝撃は、時に心身に影響を及ぼすほど。正常な判断ができなくなり、ストレスに苛まれ、文字通り身を削って、物語を完成させたりしているのです。どんなに小さな一言でも、食べる事も眠る事もできなくなったりするのです。そして、その一点しか見えなくなり、思い詰めてしまうのだと思います。

そんな事が、起こってしまった。
あまりに早い顛末に、心が打ちひしがれて、何にも言えず、ただただ、流れる涙の理由を探っています。

なんだろう、やっぱり、物を作る、書く、ということも含めて、何かを創り出すという仕事をしている身として、その想いはわかるような気がするのです。
同じ職業ではなくても、産みの苦しみやその過程は、想像に難くない。
だから、こんなにも心が沈むのかなと、、、。

言葉は時に刃になる。
そんな過去の出来事とリンクして、死にたい程心が引き裂かれるような想いと相まって、涙を流したかったのかもしれない。
哀しみを通り越して、怒りになり憎しみになり、消えるかわからない傷になる。また思い出してしまったようだ、あの時の感情を。

それと、悔しい。
原作を生み出した作者が蔑ろにされて、悔しい、思いがある。そんな社会が憎いとさえ思ってしまう。。報われない想い。
その原作があるからこそ、生まれるものがある。だとしたら、そこに敬意を忘れてはいけない。0からのものづくりができないものが、感謝を忘れてはいけない。


考えれば考えるほど、不条理な世界に嫌気がさして、、
止まらなくなりそうなので、この辺で。
自分と向き合って、自分の心の声を聞いて、寄り添い、このモヤモヤとした気持ちを整えていこうと思います。


芦原先生のご冥福を心からお祈り申し上げます。
どうか安らかでありますように。




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