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優しさとはなんぞや?

幸せとは、星が降る夜と眩しい朝が繰り返すようなものじゃなく、大切な人に振りかかった雨に傘をさせることだ。

そんな歌が思い浮かんだ。
優しさとは何かをぼんやりと言葉にしようとしたとき。
back numberの瞬き、という歌の歌詞。

この幸せの解釈を聞いたとき、そうだな、優しい解釈だなと心に染みたからだろうか。言葉の定義が似ているからだろうか。

ある人は、Aさんのことを優しいから何も言わない、、という。
私はAさんのその優しさは、もう優しさとしては、響かない。
すれ違いを感じ、なんとも物哀しい気分になる。

言わない優しさ、言う優しさ。

言いにくいこととか、相手が傷つくと思われるようなこと。
もしくは、自分の本心とか。

それを伝えるには、細心の注意が必要だ。
言葉の端々にまで気を配り、選びに選んで。感情を逆撫でしないようにあくまで冷静に淡々と。。

どんなに言葉を尽くしても、相手の受け取り方次第だったりもする。

それがありがたいと受け取るか、余計なお世話と受け取るか。

それって相手の感想であるから、私の意図と違ったとしてもどうすることもできない。そこまで私の範疇にはないのだ。

分かり合えているようで、そうじゃないことだってある。
どんなに近しい人であろうと、お互いに他人であることは明白。

自分ではないのだから。
相手も感情ある一人の人間なのだ。


「優しいから」
それは免罪符にもなる。

優しいから、、何言っても大丈夫。気使わなくても大丈夫。ノーと言わないから大丈夫。わかってくれてるから大丈夫。

そんなのは、単なるエゴだ。
その人の優しさに甘えていることをわかっていないだけだ。

どこまでいっても、分かり合えない人もいる。
自分の持つ優しさの価値観と、その人の価値観は違うから、交わらない。

その人にはその人の思う優しさがあり、それが正義だから。
その正義と違っていたら、それは「優しくない」になる。


勝手に押し付けられる意見ほど、迷惑なものはない。

人それぞれ、自分の正しさの世界で生きている。
多かれ少なかれ、正義は持っているもの。


優しさとはなんだろうか?
そう、ふと、考えると、浮かんでくるのは、
難しいよな、、、
ということだったりする。。

答えの出ない問いは、多々ある。
答えは一つではない。真実も一つではない。

一つの出来事でも、見る側から、置かれた側から、それぞれの考察による真実がある。そこに感情というものが入り込む限りは。

人生でいろんな局面にぶち当たり、判断を求められる。
そうすることが優しいのか、優しくないのか。

その判断が正しかったのか、そうではなかったのか。
重い決断であればあるほど、心に刻まれる。
ときに、後悔は残る。

優しさとは、その時々で形を変え、姿を変え、人との関わりの中で変幻自在に変わっていくものかも知れない。
それが何であるのか、正しい優しさなのかなんて、ずっと分からないものなのかも知れない。

というか、「優しさ」という言葉は、とても曖昧なもので、何にでも置き換えられそうな言葉で、つかみどころがないものだ。と、書いていて感じる。
(正しさとか正義とか、幸せとだって置き換えても通じてしまいそうだw)


優しさを与える者と受け取る者。
双方の思いが合致していれば、それは、優しいと心から感じられることなのかも知れない。
金時計の鎖と櫛を贈り合う二人の物語のように。どんなに不毛でも、そこに優しさはある。

わお。一種の奇跡のようだわ!優しさって。笑



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