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気遣いや思いやりは、自己保身のため?

少し、考えてみたいことがある。
それは他人への気遣い、思いやりがどういった感情からきているのかといった類のこと。

誰かを思い、その人のためにと、言われてもいないのにあれやこれやと思考を巡らし行動したり、手を差し伸べたり、手伝ったりする。

それって、その人を思って、やっていたことだったりするのだけれども、
そうでもなかったのか、、と、気づき始めているような気がする。

というのは、先日、心理カウンセラーさんの動画を見たから。
自分のために相手に気を使っているから疲れているのではないか、というもの。

率直に、そうなのかもしれないと思った。
そうすることで、何か得を得ているのではないかと。
それは、自分を傷つけないために行っている行動で、それで疲れてしまうのではないかと。

人にいいことをする、相手のために思いやった気を使っているつもりでも、つまりは、相手をコントロールしたかったのかと。

相手の機嫌を伺ってみたり、その場に合わせて元気に振舞ったり、気を使わせないようにと自分の意見は隠して偽ってみたり。。

そこに機嫌の悪そうな具合の悪そうな人がいて、思うことは、、
「あれ?私何かやっちゃったかな?」「私のせいで怒ってる?不機嫌?」
というようなこと。
うん、自分のことだ。自分がどう思われてるかの心配。

確かにこれはあった。
突然連絡が来なくなって、気になってしまって、「私、何かわるいことした?」なんて聞いたこともある。笑

そうか、この動画をみて、思ったのは、
『相手はただ具合か機嫌が悪かっただけ』
そこに「わたし」というのは関係ない。
相手が不調だという事実があるだけ。

フラットに考えると、嫌われてるかも知れないと考えてるのは自分。
相手がどう思っているかは不明。
そして、そう考えるのは、嫌われたくないという思いがどこかに強くあるから。

あれやこれや、思いを巡らして、想像力を発揮して勝手にストーリーを作り上げ、挙げ句の果てに、ネガティブに陥って凹んだりする。。
なんてことをいつもやっている気がしてきた。w

それって、自分のための気遣いだったのかと。
自分が傷つかないように、自己防衛的な思考を巡らせていたのか。。

その思いは、私の頭の中を知らない誰かにとっては、全くの無だ。
その気遣いや顔色伺いを「普通」だと感じている私は、それが幼い頃からの癖だったのだろうか。
そうやって、考える事が普通、しいては、そうすることに何か利得があってそうしてきた。

例えば、優等生にはなりたくないのに優等生を演じていたのは、それなりのいいこともあって、ある意味、決められたパターンにハマるのは楽でもあったから。
相手がそうして欲しいと思っているのならそれでいいかと。まぁ、優等生やってれば、授業中寝てても怒られない特権はあったなw

思い当たる節ばかりで、なんがか胸が苦しくなった動画だった。


私は一体誰のために、気を遣っているのだろうか?
その気遣いは誰のため?


誰かを想いのままに、操りたい、こう動いてほしい、こう思って欲しい、、
そんな想いもどこかにあったのかも知れない。
だから、疲れる大人数の飲み会は行きたくないし、人数合わせの食事会も断ることも多かった。

気を遣って、相手に接しているつもりだったけど、
まあ、好かれたいとまでは行かなくても、変に思われたくない、嫌な人だと思われたくない、という思いはやっぱりあったと思う。
いや、結構あったのかも。特に、変な人に思われたくないという感情は。
その結果、気遣いが空回りして、終わった後はぐったり、、みたいな。

まだ上手くは言えないけれども、この動画に出てくる例にとても身に覚えがある。
私もそうなのか、そうだったのかと、噛み砕いているところ。

そうでない気遣いもあったと思うけれども、このパターンに当てはまってしまっていたなと思うところも多々ある。


なんだろうか、人間関係というのは、自分と相手がいて成り立つもの。
そこには、対等な関係性ではなく、過剰な自分の思いが、自分を守ろうとする癖が乗っかってしまっていたのかも知れない。
純粋に誰かのためではなく、コントロールをしたいがための気遣い。。。

なんだか、なんとも言えない、薄黒いモヤモヤが立ち蔓延る場所へ足を踏み入れてしまったような。
そこを抜けるにはには、もうちょっと揉まれてみないとわからないような。経験値を積んで、気づいていかないと、心は晴れないような。。。笑


でも良かったと思う。
そうなんだと気づける、そうかも知れないと自分を見つめ直すきっかけとして。
少々、痛みを伴い、靄がかかるけれども、
そうだということは、やはり身に覚えがあるから。
それを受け止めるのは、少々勇気がいるかもしれないけれども。

人間関係って難しい、、そう思わせていたのは、自分を守りたいがための行動だったのかもと思えたら、その次からの行動は、変えていけると思えるから。

まだまだ、自分のことなのに、知らない心理がって、誰かのせいにしていたことも、理由は自分の中にあったり、幼い頃にあったり。
自分を知る、ということは、人生を知ること。果てしないなぁと思う反面、心理を解明していくのは面白かったりもする。笑

「自分を見つめる」
なんてよく言うけど、なんて奥深いのかしら。笑
わかっているようでもわからない、まだまだ知らない自分に出会うんだろうな。
わからないことが分かるようになる、答えっぽいものに辿り着く、そんなことを売り返しながら、歩んで行けたらいいなと思う。


この動画は、気づきを与えてくれますが、少々劇薬なところもあると思います。笑
良薬口に苦し。
その苦さも受け止められたなら、また前進していけるのだろうなと私は模索中です。

見る方は、お気をつけて。
心身ともに安定していて、元気な時に見ることをお勧めします^^

https://www.youtube.com/watch?v=Jc_4s0DYoUw


長くなってしまいましたが、ここまでお付き合いいただいて、ありがとうございます!^^
寒くなってきましたので、ご自愛くださいね。

では、また。



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