子どもに関わる事柄に敏感になった自分に気づいた日

日中は1人でおうちで過ごした日。長いGW中は家族が家にいたし、長男が体調を崩しGW明けも2日間自宅保育をしていたため、1人で過ごす日は約2週間ぶりだった。

掃除や整理整頓など、後回しにしていたお家のあれこれに手をつけるが、気持ちが乗らずに思うように進まない。

というのも、住んでいるアパートが塗装工事中のため窓が開けられず、家の換気がろくにできなくなり早2週間。ベランダも窓もぜんぶビニールで覆われ、唯一開けることができたほとんど使っていない部屋の小さな窓まで今日ついに覆われてしまった。

これで完全に空気の入れ替えができなくなってしまい、家にいると空気が悪くて息苦しい。とにかく外で過ごしたいのだけど特に予定はないしやるべきことは家の中にあるのが現実。

まあでもこんな状態で長男の風邪が誰にも移らなかったのはラッキーだったと思う。

午前中に仕事関係の面談が2件。実は、4月下旬に仕事に本格復帰をしている予定だったのを、予定を変更し5月下旬まで有給休暇をとっている。

モヤモヤしていたことがあったけど、たくさん話を聞いてくれた人たちがいたことと、モヤモヤに絡んでいた人たちと率直に話ができたことでだいぶすっきり。向き合うのは怖いし億劫だけど、やっぱり直接話すに限る。そろそろ仕事モードに切り替えていく準備ができる気がする。

16時になり保育園にお迎えに行く。17時を知らせる防災無線のメロディが鳴るまでのあいだ公園で遊ぶのがルーティーンなので今日も連れていく。これまでよく行っていた公園には大きな蜂が出るようになってしまったので、最近はタワマンの下にある小さな公園に行くようになった。

自然環境はないけど、出入りできるところが一箇所なので子どもが車道へ脱走するリスクが低いし、大きな遊具が楽しい公園。

着くと、幼稚園生から小学生くらいまでの女の子が7、8人ほど遊んでいた。しばらくすると、3人ほどいた大人が各々の子どもたちを連れて帰ってしまい、小4くらいに見える女の子が1人だけ残った。その子はあからさまに寂しそうな顔をして「みんな帰っちゃった」と言ってふてくされていた。

近くにいたわたしに「でも、家にはおばあちゃんがいるし。ママだってもうすぐ来るから。3才の弟がいるんだけどね、今保育園にいてママがお迎えに行ってるの。ここで遊んで待っててって言われたから待ってるだけ。だから、ひとりぼっちなんかじゃないから」と、聞いてもいないのに一気に話していた。

わたしが「この子、ひとりで大丈夫かな。まさか放置されてるとかじゃないよね?保護者の方はちゃんと来てくれるのかな」などと考えていたことを見透かしての言葉だったのか、他の大人に何か言われたことがあって、わたしにも何か言われるかもしれないと先回りをして言ったのかは分からない。

その子が「マンションの中で待つ」と言って建物の中に入ったのを見届けて、息子たちと家に帰る。

息子たちが寝静まったあと、家に届いていた地域新聞に目を通す。男の子3人を育てあげたという女性のインタビュー記事を読んでいると「子どもたちが自分の考えを持つ1人の人間だと実感したときが、わたしの子育てが終わったとき」という文章があり思わず「はあ?」と言いそうになる。

わたしは、どんなに小さな子どもだとしても、自分の考えを持つ1人の人間なのではないかと思う。

子育てに対する考え方は人それぞれなのだから、わたしがとやかく言う筋合いはないし、この方がどういう意図でこの発言をしたのかはわからない。わたしが懸念したような意図ではなかったかもしれない。

でも、子どもには自分の考えなどないと思っている(つまり、子どもの考えなど尊重しなくてよい?)と言っているようにも捉えられる文章に感じたので、新聞として世に出る前に誰も指摘しなかったのか、もう少し違った表現はなかったのか、実名で顔出しだけど大丈夫なのか、と余計なお世話ながら考えた。

こういうことが気になるのは、わたしが仕事で広報をかじっていたからかもしれないし、「子育ては人それぞれ」なんて言いながら自分と異なる考えを批判したい気持ちが心の奥にあるからかもしれない、などと思いをめぐらせつつ、今日はもう寝ることにする。

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