あらゆる問題の根底にあるのは絶対視?

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1. 学校

1−11. あらゆる問題の根底にあるのは絶対視?

学校についての話ももうすぐ終わりにしょう。最後に君に話しておきたいのは「絶対視しないこと」についてだ。

世の中では科学っていうのがとても力を持っている。「科学的」という言葉がついていれば、それだけで商品の正当性や効果が間違いなく保証されているかのように思われている。けど、この態度は好ましくないし危険でさえある。

科学ってなんだろうか。物理学や化学、生物学なんかを思い浮かべるかもしれない。数学も思い浮かんだかもしれない。もしかしたら、経済学や社会学、言語学なんかも思い浮かんだかもしれない。たぶん世の中では数学、物理学や化学、生物学なんかが科学だと思われてる。けどこの捉え方はちょっと違う気がするんだ。物理学や化学、生物学ってのは科学の中でも自然を対象にする自然科学だ。そして数学は科学で活躍する言葉だ。

科学っていうのは学問の姿勢、態度によるまとめ方なんだと思う。科学に分類される学問は、対象を客観的に調べる姿勢を持っている。客観的に調べるっていうのは、自分と切り離して証明できる、事実をもとに考えるということだ。

科学的事実、なんて言葉がよく使われる。それもたいてい自身の主張の正当性を守るために声を大にして使うんだ。「科学的事実」ってのはどうにも揺るがし難いものに感じる。とても強そうな言葉だ。けれど俺は君に、そんな強敵にも勇敢に立ち向かっていってほしい。科学的事実ってのも実は絶対的なものではないんだ。

科学的事実っていうのは、仮説と呼ばれる「きっとこうなんじゃないか」っていうのを、数学や実験で証明できたときに生まれる。例えば、「白鳥はすべて白いだろう」っていう仮説を思いついたとする。まあ思いつくまでもなく、白鳥って呼ばれてるんだから、そりゃ色は白いだろって思うかもしれない。けどちょっと我慢して付き合ってほしい。科学者がその仮説を証明するためにしていることは、色んなところに出掛けていってできるだけたくさんの白鳥を観察して色が白いっていう観察事実を集めることなんだ。

例えば、「アメリカ、ヨーロッパ、日本、アフリカを回って調査したところ、9億羽の白鳥を観察したがすべて白かった」みたいな。そして、「だから白鳥は白い!」っていう結論を科学的事実として主張するんだ。

これって正しいだろうか。

もしかしたら、黒い白鳥が未来に見つかるかもしれなくない?たとえ何羽の白い白鳥を観察しても、その黒い白鳥が見つかる可能性を否定することはできない。つまり、「白鳥は白い」っていうとき、それは正確には「すべての白鳥は白い」っていう意味だ。でも将来黒い白鳥が見つかる可能性は否定できない。だから科学的事実っていうのは絶対的なもの、完璧なものではないんだ。

この例に関して言えば、実は17世紀にオーストラリアで黒い白鳥が見つかって大騒ぎになったらしい。もっと言うと、生物の種なんてのはそれなりに連続的なものだし人為的分類だから「黒い白鳥は黒鳥だ」なんて言うこともできるのかもしれないけど、まあとにかくその程度のものだってことさ。

どんなに難しい科学的事実や理論も結局はこれと同じ問題を抱えてる。今までみてきたことが将来もずっと続くと信じた、難しく言えば仮定した上で、理論を作ってる。信じてるんだ!

だから実際あるときまでは絶対的だと思われてた科学的事実や理論が、「まったく間違ってました」ってなった例なんていくらでもあるんだ。ゲーデルって人は、ある枠の中に閉じているなら、その枠内のことを証明することはできないってことを証明した。不完全性定理ってやつだ。こんな風に、科学について鳥の視点で問う学問が科学哲学ってものだ。科学を義務教育にするなら科学哲学もセットで教えるべきだろうと俺は思うんだけど。

とは言え、科学の意味が0になるわけじゃない。モノゴトを簡単に1か0か、正しいか間違ってるかで片付けちゃいけない。

ここから学べる重大なことは、どんなに確かそうだったり、どんなに偉そうな人が言っていても、ゆらぐことのない、絶対に正しいことなんて無いってことだ。

けれど世の中にはなにかを絶対視している人がものすごく多いんだ。これはその人自身に不幸をもたらすばかりでなく、人類全体にも大きな問題となっている。例えば、宗教が理由になってる戦争やテロがそうだ。

そういう人たちは自分たちが信じてる宗教、その神が絶対的なものだと思ってる。だから、異なる宗教や神を否定したり、相容れない思想を排除したがるんだ。つまり、考えることをせず拒絶しているだけだ。これは生物学で知られた「闘争or逃走反応」ってやつなのかもしれない。

こうして話すと信じられないかもしれないけど、人はこういう理由のために本当に数多くの命を失い、その何倍もの人々の心を傷つけ、苦しめてきたんだ。そして今この瞬間も続いてる。これが人間にとってとか、人間として良いことか悪いことか、個人的意見は敢えて言わないけれど、モノゴトを絶対視するってのは危険で望ましくないことだと思うんだ。人類は絶対視から逃れられれば、世界はもっと平和に幸せになると俺は思う。


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