見出し画像

【あれこれ】私、光る方へ

初寄稿の松田さん。寄稿していただける方が増えてきて感無量です。春は出会いの季節ですね。とかいってたらもうだいぶ梅雨が近いですが…。不登校中もその後も、やっぱり人との出会いは大事です。(スタッフ・古川)





カーテンをすり抜けてやってくる春風は心地良い。私の頬をなぞる。それはとても優しかった。この文章を書いている今日は4月中旬。窓辺から見える桜の木からは新芽が出ている。私の日常は今日も穏やかだね。

はじめまして。
名前は松田佳純(まつだかすみ)。
「何か書きたいけれど内容はないから何を書こうか」と迷っていた。たくさん考えてみたけど思いつかないので、とりあえず自己紹介をしようと思う。
長々とした文章になりそう。と言っても、私は深い人生を送っている訳ではないし、特別な経験をしたこともない。簡単にまとめると『よくわからないけど不登校になり、おまけに精神疾患にもなり、学生時代は家でひきこもっていたけど、今はぼちぼち生きている人』である。ただそれだけの人生。過去の苦労話をしようとは思わない。そもそも、苦労なんてしていない。苦しかったけど、苦労ではない。
無駄な長文かもしれないけど、書きたいことを書くのが1番楽しい。なので、書きたいように書く。

私は特に理由なく小学6年生から中学3年生まで不登校で、教育支援センターにお世話になりながら、大半の期間は家にひきこもっていた。おまけに小学生で適応障がいになり、中学生の頃にはうつ病になっていた。
幼稚園の頃から「ニコニコ笑顔が可愛いね」と言ってもらえていたけれど、そんなニコニコ笑顔で可愛い私はどこへ行ったのだろう。頑張って笑顔を探しても見つからない。頑張って笑顔を取り戻そうと思っても戻らない。「ニコニコ笑顔が可愛いかすみちゃんどーこだ!」…返事がない。あれ、そもそも笑顔ってなんだっけ。わからない。

中学校には入学式以外1度も登校することなく卒業。そして、定時制高校に入学した。幼稚園の頃からの夢だった介護について学ぶことができた。友だちもできた。楽しかった。けれど、やっぱり『学校』という空気感が苦手で、行ったり行けなかったりを繰り返した。
その後、通信制高校に転入した。学校はビルの中にある小さな部屋で、5人の生徒と2人の先生と学んだ。学校の大きな建物や教室が苦手な私にとって、『校舎や教室がない』というだけで、安心して過ごすことができた。その結果、無事に卒業。19歳のときだった。「やっと学生生活が終わった」と安心した。そのときには病名がうつ病から双極性障がいに変わっていた。

高校を卒業してから3日後には就職して働き始めた。いつの間にか社会人になっていた。「3日前までは学生だったのにな。3日経てば社会人になっちゃった。いきなり社会に放り投げられた感覚だな。どうしよう。」と恐怖でいっぱいになった。不安だ。大丈夫かな。

学生が終わり、社会人として働き始めた会社では私が精神疾患を持っていることを理解してもらったうえで、パート採用だった。
会社のことは詳しく言えないけど、働いてみて思ったことを一言で表すと『大人って汚い』。これに尽きる。私は純粋だと言われることが多いけれど、私自身では心が汚い方だと今まで思っていた。でも、周囲の大人たちの汚さは次元が違う。私の汚さは小さすぎるものだと感じた。大人がこんなにも汚いのなら、私が生きづらいのは当然のことだ。
職場にいた大人のどこが汚いと感じたのか。言い出したら止まらない。そもそも、言いたくない。思い出すことも苦痛だ。そんななかで、私の心のなかに残っている上司の言葉がある。「あなたは1日でも休んだ時点で負けだよ。終わりだよ。あなたの価値なんて1つも残らないんだよ。そもそも、あなたに価値なんてないんだよ。そろそろ、自分で気づいた方がいいよ。」私は驚いた。とても驚いた。
3月上旬に入社して、7月上旬に退職した。「私が弱すぎるだけなんだ。強くならなきゃ。」よし、頑張ろう。その頃、双極性障がいから統合失調症になった。

8月下旬にハローワークへ行った。
7月上旬に退職後、一般企業は難しいと判断して、『就労継続支援』で働こうと決めていた。そのため話はスムーズに進み、3つの事業所へ見学に行けることになった。ある事業所は自宅から徒歩30分の場所にあったため、さっそく見学をさせてもらうことにした。
楽しみだな。

見学当日。案外、緊張や不安は少なかった。さっそく事業所へ入る。その瞬間「ここなら私は働ける。大丈夫だ」という感覚があった。直感的に思った。「あと2つの事業所への見学は行かなくていい、キャンセルしよう」とその場で決めたくらい。不思議だった。
そのあと、実際に見学をさせてもらいながら話を聞き、見学だけでなく面接まで進めた。結果、9月から事業所で働けることになった。嬉しい。とても嬉しい。飛び跳ねたいくらい嬉しかった。「私はここで働けるんだ」

9月1日に初出勤。楽しかった。そこから現在まで、ほとんど欠勤することなく事業所に行けている。これは本当にすごいことだと私自身でも思う。小学校から高校まで『毎日通う』ということができていなかった。それが今では当たり前になっている。本当にすごい。私は頑張っている。
だけど、それだけではない。毎日事業所へ行くことができているのは『環境と周囲の人たちの良さ』だと思う。心の底から思う。特に『事業所の職員さんの良さ』だと私は感じる。1人の男性の職員さんがいる。その職員さんを私は大切な人だと思っている。なので、よく考えてみると『事業所の職員さんの良さ』よりも『大切に思っている1人の男性の職員さんの良さ』だと私は思った。
その職員さんの話をするとさらに長文になるので、今回は書かないことにする。でも、いつか絶対に書きたい。『私を変えてくれた人』という映画ができそうなくらい。それくらいすごい人。でも、本人に言ったら「そんなことないよ」って言いそう。絶対に言う。私は『すごい人』よりも『いろいろな視点から物事を考えて、偏った考えをする私にたくさん教えてくれる人』である。そして『同じ目線になってくれるお兄ちゃん的存在』である。わ~本当に書きたい!この職員さんのことを書きたい!でも、また今度にする。今働いている事業所に行けて良かった。これだけは強く強く言えること。職員さん、いつもありがとう。

こんなにも長文を書いていたら、日が暮れてきた。窓辺から見えていた桜の木も、夕日に照らされている。今日も穏やかな1日だった。始めに『自己紹介』と書いたけど、こんなの自己紹介ではない。明らかに書きすぎた。これから、どんなことを書いていこう。とても楽しみ。過去のこと、現在のこと、未来のこと、私の日常。いろいろなことを書きたい。書いていくなかで、私を明るい道へ導きたいな。

私、光る方へ





○寄稿者募集!

不登校ラボでは、連載【あれこれありましたが、】をnote内にておこなっています。

ここは、人生のはやいうちにつまづいてしまったさまざまな人が集まり、創作や出会いを通じて当時をもう一度ふり返る人生の研究所。かつてかかっていた”もや”を、いまのあなたが観察するところです。

寄稿連載【あれこれありましたが、】では、当時行きづまっていた私たちがいまどうやって生きているか。あれこれありましたが、よろしくやってる方々の日常や思考を寄せてもらい、連載しています。

読者からも寄稿作家を募集しています。学生時代に挫折をもつ人(不登校経験がなくても構いません)、学校に行きたくなかった日が1日でもある人、自分の文章をこの場で書いてみたいと感じる方は、ぜひ、スタッフ古川までご一報いただけますと幸いです。たくさんの方々のご参加、お待ちしております。
メール:kansinken723101659@icloud.com

企画の詳細は以下記事から↓
https://note.com/futoko_rabo/n/n787d569fca3b

ここから先は

0字

この記事は現在販売されていません

この記事が参加している募集

自己紹介