宇宙紙上離婚
昨晩(2022.03.10)小林麻耶さんの離婚騒動をヤフーニュースで知りました。
コメント欄を拝見すると、小林麻耶さんの離婚に関することより、國光吟氏や句読点のない文章への言及が多かったようです。これらコメント群をざっくりまとめると、『小林麻耶さんの離婚を通じて垣間見た國光吟氏の正体』といったところでしょうか。句読点のない文章と國光吟氏の人格を同一視しているような感想も見受けられたことが大変興味深いです。
『文は人なり』
文章を見れば書き手の人となりがわかる…というフランスの博物学者ビュフォンの格言があります。
確かに、文章からある程度の書き手の人となりは推測できるもしれませんが、文章から的確な人物判断は不可能です。わかるのは、書き手のその時の動機や心情、意図、企み……などではないでしょうか。
國光吟氏の文章をじっくり吟味したうえで國光氏の人となりを推定した人は、果たしてどれくらいるのでしょうか。
おそらく多くの人は、普段なかなかお目にかかれない句読点のない文章に圧倒されて、ひろゆき風にいえば単なる「感想」を漏らしたのかもしれない。句読点のない文章が気に入らなかったのかもしれない。句読点なしの文章を堂々と書ける國光氏に嫉妬したのかもしれない。宇宙規模のプロパガンダかも知れない……
真実はわかりませんが、これほどまでに句読点のない文章に反応しているということは事実なわけです。
國光氏自身は、句読点のある文章が読みにくい(句読点なしの文章のほう読みやすい)という理由から自らも句読点なしの文章を書くのが常らしいです。でも、これはまったく句読点なし文章を書く理由になっていないのです。なぜなら、ブログで文章を公開するということは、読み手があってのことなのですから。さらに奇妙なことに、実際の文章は句読点どころか改行もない!文章のかたまりなのです。
実は筆者も國光氏の感覚に1割くらい近い感性をもっていて、読点はないほうが読みやすい。句点はあったほうがよいですが、改行はなるべく少ない方が読みやすい。それと段落一字下げの空白があるのが読みにくい。つまり適当に改行があって(意味段落字下げなし)読点なしのみっちり詰まった文章のほうが読みやすいのです。
さすがに読み手を意識した文章で自分本位の文章体裁をとることはないですが。
句読点無し文章に言及する人が多いのはおそらく下記の、攻撃的で開き直った文章にあると思います。
ざっくりまとめると、
「句読点なし文章を犯罪者でも見るような目つきでおかしいと思うあんたのほうがおかしいんだよ!」と。
たしかに正論を言っているようですが、あんた(攻撃する大衆)が、なぜおかしいかという根拠がないので、この捨て台詞のような文章にカチンとくるのではないでしょうか。
宇宙を感じる國光吟氏の句読点改行無し文章
それでは、実際の文章を拝見し、句読点&改行を入れた文章に直してみたいと思います。
文章の塊から國光氏独自の宇宙を感じます。しばらく眺めているとなんだか癒やされるような気がします。(きっと気のせいです)文章にヒーリングエネルギーを込めているのかもしれません。(たぶん気のせいです)
上記原文に句読点及び改行を入れてみました。
文字の塊からの印象は「癒やしのエネルギーを感じる……」なんていい加減なことを書いてしまいましたが、実際改行と句読点を入れて精読してみると、印象がガラリと変わりました。
多くの読者に理解して欲しいのなら、やはり改行と句読点を入れるべきだと思いました。
『文は人なり』の観点からすると、『文章の塊』(読む気がしないので精読なし)として捉えた印象は、宇宙の果に君臨する孤高のヒーラー。
精読後は、自分だけが読みやすい文章体裁を頑固に貫く他人のことなど考えない極めて自己中心的な人物のようでいながら実際は、他人の目、評判、評価をことのほか過敏に気にする攻撃的気質。
なあんて、似非心理学者みたいな分析をしてみましたが、率直に感じたことは、やはり文章は大勢の人が読みやすいように改行や句読点を入れたほうがいいということです。それに残念なことは、言いたいこと(主張)を、意図的にだかわかりませんが、誰かを問い詰めるような口調(文章)にすることで、攻撃していることをぼやかしていることです。
うそデタラメを書かれたりされたら誰でも怒りは湧いてくるものです。その感情をストレートに文章に書く人もいれば、論理的文章で反論する人もいるでしょうし、あるいはそれをミックスした文章を書く人もいるでしょう。
商売人の立場上ストレートな感情そのままの文章を書けないのかもしれませんが、氏の文章は、そのいずれにも当てはまらない伝わらない文章になっているところがとてももったいないと感じました。ざけんな!とか、チックショー!とか感情にまかせた文章を書けない立場上それを表現するためにあえて改行句読点なしの体裁にしているのかも知れません。
つまり、俺の話を黙って聞け!ってことです。ネガティブな反論や感想コメントはしてくるな!ということです。
そんな印象を受けました。
だったらなおさらのこと、主張とその根拠を明確にした文章を改行と句読点をいれて公開していただきたいと思いました。特に、週刊誌の嘘記事のこと、生島事務所のこと、TBSのこと、権力でつぶそうとしてること……
今後の動向に注目していきたいと思います。
追記:2023.11.15
件の文章は、人それぞれの解釈、読解があるでしょし、様々な感情も喚起されることでしょう。にんげんだもの。
では、この文章を感情を交えず客観的に解析したらどうなるか。
ということで、無感情AIのChatGPTに文章の添削をしてもらいました。以下、その結果(出力)です。
ChatGPTにリライトお願いしてみた。
なるほど、感情を全面に出さず冷静で理性的な文章で、ニュース記事らしくなりました。
しかし、ふりかえって長文句読点改行なしの文章をあらためて読んでみると味わいがあるな、と思いました。
やはり自分は、感情のこもったにんげんだもの的な文章がいいなとつくづく思ったのでした。
句読点改行なしの文章は味わい深い。
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